次にメインで指導したのは最上学年が1人だけの代。それも最上学年の子は正直上手くない。でも素直で良い子でした。下の学年が活発な子が多かったのでプレッシャーに感じていたようですが、よく頑張ってました。そんな代は新人戦の地区予選を5年1人4年8人3年3人くらいで臨みまして、5年生メインのチームとしのぎを削り見事県大会を勝ち取ったり。ギャラリーを驚かせる試合を見せるのは本当に楽しい。その代は残念ながら県大会出場は新人戦のみ。他の大会は地区予選の代表決定戦で僅差の敗退とコロナ禍で中止。当時は地区予選敗退が悔しくて仕方がなく、次の代の子達に悪い影響を与えてしまったかもしれません。
そして最後に指導した代。1つ上の代が1人だったため、ほとんどの子が上の学年とも戦えていたので、私の中では勝負の代でした。そんな考えが間違えでしたね。負けられないプレッシャーを勝手に感じ、勝った試合でも課題を見つけてはお説教。良いプレーと褒めるべき所も、より精度を求めるように。最終的にはあまり成長させられずに送り出すことになったのではないかなと思います。格好だけ気にして、本当に指導が下手くそでした。
その後は子どもが産まれ、チームも指導者が充分にいたので、子育てを理由にチームの活動から離れ、チームから出向という形で県トレでのみ指導してました。その頃からGKをメインに指導していましたね。県トレで大会に帯同したり、GKのレベル2というライセンスに挑戦して、元浦和レッズでモンテディオ山形ではヘディングを決めたもとJリーガーと指導論を語ったり。様々な経験をさせてもらいました。チーム活動に注力し過ぎて視野が狭くなっていたかもしれませんが、良い気分転換になりました。
そして今にいたります。指導者として、様々な積み上げの結果に今があります。これまでを価値ある財産とするために意味のある今を噛みしめたいと思います。