前編後編の2部構成にする予定が中編を挟んでしまいました。


 そして就職を機に地元さくら市に戻ってまいりました。 就職に失敗して1年間は就職浪人でしたが。ですが、地元に戻ってすぐに指導の現場にもありつけて、拾ってくれた代表には今でも大感謝です。日中は就職するための勉強をしながら、夜は指導があれば少年サッカーの現場へ。就職できるか不安でしたが子ども達とのコミュニケーションは不安を忘れさせてくれる一時でした。


 そんなこんなで就職浪人は1年で終了。無事に職にありつけたわけですが、 まずは仕事優先ということで平日の指導は自由で行けるときに行く、といった感じでした。優先すべき事を間違えないようにといった配慮ですが、代表には大感謝です。私も若い指導者を持った時にそんな配慮が出来るような人間になりたいものです。


 ここで地区トレセンに関わることになります。最初は借りてきた猫のように先輩指導者の陰に隠れて手伝ってるんだか冷やかしてるんだか。若気の至りですね。


 そして、私にも監督として選手を率いる機会が。チームの3期生は人数が多く、2学年合わせて2チームで活動できる程でした。この代はAチームが新人戦でベスト8だったので、6年生の時に県リーグに参戦です。私は5,6年生をミックスしたBチームを率いて地域リーグに挑戦でした。


 当時は地域リーグが県大会の予選を兼ねていたり、凄くモチベーションの上がる大会でした。2チーム両方とも県大会に行けるって、クラブとしてかなり箔がつくと思ってました。そして私にとってBチームで上を目指すというのが性に合ってる思ったりもしました。ジャイアントキリング、最高です。今では色んな経験をしサッカー観も深まった中で、選手の能力を十二分に引き出す取り組みや、育成年代ではあまり好まれませんが相手のウィークポイントを突く作戦を立てたり。もっとジャイアントキリングする自信はあります。


 Bチームの活動は前期で終わりましたが、県大会にも行けたし、私の指導者としての自信を深めてくれる良い経験でした。今年から大学生の子たちですが、高校卒業後に練習に顔出してくれたり、まだサッカー続けてくれていたりで、とても嬉しい限りです。


 そんなBチームで1つ下の学年だったメンバーを率いて指導者としての道が本格的に開けてきました。


 それは後日。