『どうしてもあの人のようになりたい』
と切望している体があって
でもあきらかにその人と、
この体が違うという場合
それを伝えることはすごく難しいです
目に見えるものを真似ても、
目に見えないものは全くの別物だからです。
しかし同じように手足がある人間であり、
まして同じ年代や同じ女性であるなど。
共通点があればあるほど
それを理解することは尚更むずかしいです
相手に共感できるということと、自分自身がそうであるということは
まったくの別物です。
体のパワーの出るポイントがまるで違うんです
それはまるで対極に等しい
しかし心が同じ(共感できる)というだけで
体のパワーの源まで同じだと人は錯覚するからやっかいです
共通点だけに目が行くので
それがものすっごく大きく見えてるけど
それは、
あなたの体全体で言えば
1割にも満たないです
もはやそのすべてが錯覚というもの
人の真似が成功する時というのは
その残りの9割に主導権があり、
残りのたった1割『人の視点を借りる』
というスタンスでいる時。
しかし、多くの人の体では
真似をしたい人に9割乗っ取られている
残りの1割に光をあて続けるしかないけど、
『その1割は抹消すべきものであり、だからこそ人を真似る必要があるのだ』
というシステムがあなたの中にある場合、
その1割を増大させる事はかなり難しいです
人々が自己受容や自己肯定を叫び続けるのは
その抹消装置が作動するのを
避けるためなのかもしれないと思う
だってそれはまるでブレカーが落ちるのと同じようなものだから
からだの中がね
真っ暗闇になるんです
だからもしあなたが憧れる人が現れて
同じようにしているのになぜか上手く行かない
という事があったなら
その人の真似をする自分自身の事を
その倍は、見てあげて下さいね