何事も、全力で挑戦してみる
という癖がある私にとって。
この2つの存在。
そしてその違いは、明らかです。
(2019年の過去記事の再掲です)
例えば、最近でいう叶わなかった夢
子供の海外留学についてですが
最初にその話を聞いた時、娘は
『うまく自分を出せない所があるから、多国籍文化の集まる中でそれに挑戦したい』
というような事を言っていました。
そして、それをリアルに叶える
段階になった時(説明会に行きました)
現実を思い知り
そのあまりの怖さに体は震えて、
涙を流していました
そりゃーそうですよね!
いきなり親元から離れて
単身でマレーシアに行くなんて
それでも涙を流しながらも
『怖いけど、わくわくするから私!挑戦する』
と言ったんです。
あぁ、これは本気なんだな。と思いました
リスクを知った上で、それでもやりたいこと。
それはただのワクワクとは違います。
とても怖いことです。
それでもやりたいかどうか。
しかし、この場合。
実は
マレーシアへの海外留学こそがダミーでした
娘の本当の願いは
前記してあるように、
『うまく自分を出せない所があるから、多国籍文化の集まる中でそれに挑戦したい』
=
それは、
『集団生活の中で抑えている自分自身を、ちゃんと出したい』
ということです。
マレーシアはただ、その願いを知るきっかけに
過ぎなかったのです
だから私は話しました。
『まずは、日本の今の学校でそれをやってごらんもしもダメだったら、その時にまたもう一度考えよう』
そうやって、気持ちを軽くして望んだ結果…
娘には沢山のお友達ができ、
学校もすごく楽しくなりました
集団生活の中で、
自分を抑えて人に合わせる事ばかりでなく、
自分というキャラクターを出しても受け入れられるということ。
そして、
その方が100倍楽しいということ。
それを彼女は体得しました。
この体感はマレーシアでは味わえなかったことです。
もし、マレーシアで上手くいっていたとしたら
それは同時に
『日本ではできなかった』
という事実として彼女の心に刻まれることとなります。
同じ環境の中でも
自分の考え方一つで地獄にも天国にもなる。
それをまずは知るべきだったのでしょう。
このように、
叶わない夢には叶わない理由が必ずあります。
叶わない過程で、なぜ叶わないかが分かる仕掛けになっているからです。
だから、叶わないことにフォーカスするのは無駄です。
叶わないということは、
『その望みはダミーだよ』という、単なるお知らせに過ぎません。
そして、
そのお知らせの先に
真実の望みがあります。
あなたには、叶わない夢がありますか