アメブロの文字数の関係で⑴の続きになりますっっ





ダンスが苦手だった私は

最初は今の候補生ユニット、OZの初期メンバーのオーディションにすら落ちました。笑


それでも悔しくて

諦めたくなくて


死ぬ気でダンス練習して(マンションの駐輪場で夜中に練習した)

デビュー日の数日前にダンスを見直してもらって、

OZデビューに食い込んだんです。


当時のメンバーには迷惑だっただろうな、とか思いつつ、懐かしい。笑




ちなみに、

デビュー日の動員は3人でした。

しかも、そのうちの一人はふざけて私の名前でライブに入ったので実質2人。


2人からのスタートでした。(今もっと沢山の人に応援してもらえて幸せです。)




それからは毎日が一瞬で過ぎるほど忙しくて。

平日は1限~4限は大学、(3-4限の間にトイレで衣装に着替えておく)

夕方から夜遅くまではライブ、

帰ったらチャットをしたり、大学の課題や予習で深夜まで起きて、

本当に少しだけ寝てまた大学へ。

休日は1日中ライブでGWもお盆休みもお正月もない。365日休みはなく、隙間の時間に楽屋の隅でうずくまって仮眠を取ったり笑


壮絶な毎日でした。








ディズニーランド行きたいとか

友達と遊びたいとか

ゆっくり寝たい、温泉行きたい、とか


メンバーと

妄想で語り合ったりしたなあ笑




それでも

辞めたいとか思わなくて、



疲労骨折しようとぎっくり腰になろうと



ライブが楽しくて楽しくて。



次第に

テレビ出演のお仕事が沢山できるようになって、ライブ以外の、タレントとしてのお仕事の楽しさも知って。







このまま芸能の世界で、

東大アイドルだからこそできることをしたいと思って大学卒業後も3年、仮面女子一筋で全てを捧げてきました。



というわけで

壮絶な毎日を9年間、桜雪として過ごしたわけです。



17歳~26歳という時間を全てここに捧げてきました。


怪我もいっぱいしたし、

心を病んだこともあったし、



本当に命がけで毎日を過ごしてきたと思います。




とはいえ、



初めてライブを見た!という人が楽しかったと言ってくれたこと、


雪ちゃん推しです!と初めて会った人に言ってもらえたこと、


ライブハウスの熱気、カッコいい照明、




さいたまスーパーアリーナやZeppの夢のようなワンマンライブ、(あの時は気絶しそうになりながらリハーサルをしたなあ笑)




元気種のPVのセットを見て、こんなステキなセットで撮影ができるんだって感動して涙が出たこと、



初シングルのオリコンランキングの結果をみんなで輪になって待ったあの時のこと、

オリコン一位を発表された瞬間、


大阪、名古屋、三重、鯖江、

色んなところに遠征したこと、



海外のライブで、現地の人が仮面女子の曲でわいてくれた時の感動、

(海外のものを、何も食べれなくてみんなを困らせる森カノン)、






ついついふざけ過ぎてしまう純血の撮影、




メンバーで準備して練習して作り上げるワンマンライブ、


楽屋でくだらないことでお腹を抱えて笑ったこと、


掃除のじゃんけんで白熱したこと、





そんな思い出だらけの毎日、どれも特別です。


全部全部、

もうないと思うと寂しくて仕方ないです。




大変だった時は、普通の女の子として青春を過ごすことに憧れたりもしたけど、



他のどこに行っても手に入らない青春時代を過ごすことができました。




また生まれ変わっても、

桜雪として仮面をかぶって

全てを捧げたい


って思います。



アリス十番のことを考えるとき、

メンバーと一緒にファンの人の顔も浮かびます、

下手、上手、0ズレ、後ろの方、前の方、

曲を聞くとその時のみんなの声、表情まではっきりと脳内再生されます。

この景色が大好きでした。





みんなが笑顔でいてくれれば、私も笑顔でいれました。



長い間支えてくれた、

ファンのみんな、メンバー、スタッフさん、家族には感謝でいっぱいです。

















(つづく)