上 堰 亨
老柳疎〃野水頭 二三閑客喚行舟
我來欲極長洲色 微雨寒煙鎖暮秋
森家絵図(文政年間)複製
咸宜園教育研究センター
上井手の渡しは昭和前期まであったようです。
平成に入り、農道の新設と共にちょうど渡しの真上に「天領大橋」が架けられました。
月花は、大井手から200mほど上流の船場から引き船で対岸に渡りました。
対岸のこの辺りに着きます。
大井手を飛び石して渡った若者たちは既に船着場で待っていた事でしょう。
此あたりより雨そぼちぬ 一坂登りて牧原に休らふ~
月化が舟を降りると一行は、丘陵の上へと坂道を登ります。
雨が降ってきた様です。
旧道入口
つづら折りの急な坂道を50mほど登ると現在はまず天領大橋のたもとに出ます。
当時の坂道は農道をなぞる様にさらに100mほど続きます。
橋のたもとから続く道は農道新設時に脇に補助道として,形を変えて残されています。
そして、この牧原トンネルの上で坂道が終わり、上へたどり着きます。一行は、坂を登りついたこの辺りでひとまず休憩を取ります。
この牧原は、南北朝時代の合戦場となった所です。トンネルの上に合戦の慰霊として古くから千人塚が残されています。
一息つくと、いよいよ五馬へ向かう山路をこれより踏み始めます。
~是そ山踏ミのはじめ也ける 木々の葉の紅ひあり黄ばめる有 そが中より松や樫の時しらぬ顔さし出せるもおかしく うら枯れなから萩桔梗の一ト花三花残れるもあハれと見るに 吹き折れて折れも離れぬ薄のいと白う 寝なからたれをまねくかやと あやにくに行きもやられす
長月も
野にふし待の
月を見ん
<参考資料>
五馬紀行 公益財団法人廣瀬資料館蔵
淡窓全集
小ヶ瀬井路絵地図 公益財団法人廣瀬資料館蔵
公益財団法人廣瀬資料館
咸宜園教育研究センター