はじめに


 上差し

先日、このブログをUPした後、「メンバーを、他の人を叩いたり、誹謗・中傷したり、批判したりするためだけに利用する道具にして欲しくない」という厳しい批判コメントをいただきました。

その方への私の返信は前回ブログでお読みください。


私は、PATAさんの本を単に娯楽のための本としてではなく、ある目的をもって読むために購入しました。

それは、

①メンバーに対してPATAさんはどのような見方をされていたのか。

②それにまつわる過去のエピソード。

③X JAPANの現状についてPATAさんはどう思われているのか。

④HEATHさん逝去に関してのエピソード。

などです。

 コメントをいただいた方への返信にも少し書きましたが、メンバーに対する過去から現在に至るまでの YOSHIKIさんの言動に、私は批判的な目をもってブログを書いています。その理由は、過去のブログにも綴ってきました。

そしてまた、バンドメンバーのみならず、ファンや関係者に対しても、YOSHIKIさんのなさりようはミュージシャンとしてばかりではなく、人として許し難いと感じることが多々あります。


そんなことは承知の上で、或いは片目を瞑ってスルーして、もしくはYOSHIKIさんを信じ切って楽しんでおられる方には、私のブログは大変不快だと思います。その場合はどうぞ私のブログをブロックなさってください。




キラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラ

 


 さて、続きです。



無料配布ビデオ(X CLAMATION)

 

(P.85から引用)

Xでライブやツアーをやりながら、無料で配布するビデオ(『XCLAMATION』)も作った。

…俺は当時、ビデオ屋でバイトしていたこともあり、それは俺の役目となった。

ビデオ屋の店長に話をしてもらって、ダビング業者に発注した。

ビデオに貼るラベルは俺の手作り。

…400本程度作り、大阪バーボンハウスや目黒鹿鳴館のライブで配ったはずだ。…

 ビデオを作ったことで数ヶ月間、ビデオ屋のバイトの俺の給料は空の封筒だった。ビデオ屋の店長にお金を立て替えてもらって発注したため、給料からその代金を天引きされていたんだよ。

その後もバンドはあの金を返してくれないので、Xのメンバーには今でも請求したいよ。

巷ではあのビデオの費用はYOSHIKIが全部を出したみたいに語られているようだが、あの無料配布ビデオの制作費は、俺がほとんど出したようなもんだよ。
Xの被害者と言えるんじゃないのか、俺は。

 

Xの被害者…えーん

無料配布ビデオのエピソードはおよそ知っていましたが「数ヶ月間、ビデオ屋のバイトの給料は空の封筒だった」ことや、「その後もあのお金がPATAさんに返金されていない」ことは知らなかったなぁ。
 

しかも、巷ではビデオの費用はYOSHIKIが全部を出したみたいに語られていることも、PATAさんとしてはとても心外でしょう。ガーン無気力
 

ほとんどの手柄はリーダーのYOSHIKIさんが頂いちゃうバンドですからね。
 

お金のない時代の苦労エピソードは他でも語られています。

今からでも遅くないです!
PATAさんにあの時の代金を返してあげてください。💴ぐすん

 

あっびっくり…そう言えば

昨年11月末の「HEATHさんの献花式の費用」は全額自分が負担するってことをわざわざ公表するYOSHIKIさんですから。
世間的にはバンドに関してのYOSHIKIさんの手柄は当然のことなのでしょうか…ね?

 

 

 

 

これ、俺のアンプ

 

(P.207から引用)

2018年に出演したアメリカのロックフェス『Coachella 2018』の開催期間中、ミーティングでカリフォルニアにあるYOSHIKIの新しいスタジオに行った。

 

案の定、YOSHIKIは時間通りに現れないので(笑)、俺はぶらっとスタジオ見学をしていた。

スタジオの裏にアンプがいっぱい置いてあったのだが、一台の見覚えのあるアンプを発見した。

「ちょっと待て、これ俺のアンプじゃね?」

 

それはどう見ても、俺がLAに置き忘れていた50Wのマーシャル・アンプだった。

…どこへ行ったんだろうと思っていたんだが、YOSHIKIのスタジオでそのマーシャル・アンプとの邂逅を果たすとは思わなかった。

 

予想外の展開に、俺はこのアンプを発見した瞬間、思わず二度見したぐらいだ。

 

改めて確認すると、これは間違いなく俺のマーシャル・アンプだった。ただ、細部を見ていくと、アンプの裏側には“このスタジオの所有物”という旨の英語の文言が書いてあるシールが貼ってあった。

ちょい待て。

予定時間を大幅にすぎてやってきたYOSHIKIに、このアンプは俺の所有物だということを伝えたところ

「あっ、そうなんだ」

のひと言で終わった。

 

日本に持って帰るのも面倒くさいので、今も俺のマーシャル・アンプはYOSHIKIのスタジオに置いてある。

ただいいか、あれは俺のアンプであって、YOSHIKIのスタジオの所有物じゃないぞ。

 

思わず、笑っちゃうエピソードだけど、爆  笑

いやいや、YOSHIKIさん、「あっ、そうなんだ」のひと言で終わらせちゃいけないでしょう。物申す

 

YOSHIKIさんにとっては大したことじゃないのかもしれないけど、

人の物は人の物ですから。えー

スタジオの所有物表示をPATAさんの名前に書き換えてあげてくださいね。キョロキョロ

 

ついでに…

 

謝ろうよ、YOSHIKIさん

(P.104から引用)

河口湖での合宿を経て「BLUE BLOOD」のレコーディングに入ったのは、89年1月6日だった。…

その年の正月には新年会ということで、HIDEの家で何人かで飲むことになった。

 

その会にはYOSHIKIも来ていたのだが、酔ったYOSHIKIはHIDEの家のクローゼットを殴り、大穴を空け、翌日に俺の家で飲んだときには、玄関ドアを軽くへこませた。

 

酔っ払ったYOSHIKIはそれらの暴挙に対して謝ることもなく、

「俺ん家に住めばいいじゃん」

とワケの分からないこと言い出していた。

 

酔った勢いもあるとは思うけど、30年以上前のことをはっきりとPATAさんが覚えてるくらいだから、相当迷惑をかけたんですよ。ガーン
きちんと謝ろうよ、YOSHIKIさん。
修理代を請求されてもおかしくないことですよ。笑い泣き

 

 

 

 

リハーサルに来ない

(P.200から引用)

2008年の3月28日~30日に再結成ライブ『攻撃再開2008I.V.~破滅に向かって~』を東京ドームでやることが決まったが、リハーサルにYOSHIKIは1回も来なかった。

 

…でもYOSHIKIがスタジオに来ないから、俺たちは全然リハーサルができなかった。

そしてリハーサルの最終日、最後の日ぐらいは来るだろうと思っていたが、「やっぱり来れない」という報せがスタッフから来て、俺はずっこけたよ。

 

リハーサルは、どっかでやったライブからYOSHIKIの音源を流しながら、ギターとベースとボーカルで進めていた。

(中略)

 

それに、東京ドームの初日(3月28日)は、機材トラブルなどがあり開演が2時間ぐらい押して、ゲストが出る予定だったセクションはバッサリとカットされた。

 

2日目もその部分がカットされて、やけ酒を飲んでいた外国人チームもいたぐらいだったよ。
 

現場では予想しないことがいろいろ起こるものだけど、そういうことがX JAPANでは日常的な出来事になっていた。

 

ただ、俺は自分のやることをやりゃいいって感じなので、そこまで気にはしていなかったのだが。

 

多くは、知られているエピソードだと思いますが、出番がカットされた外国人チームの方々はさぞかし憤慨されたことでしょう。ムキー

リハーサルには来ない、開演は大幅遅延、出番はカットされる…酷い話です。ショボーン

「ただ、俺は自分のやることをやりゃいいって感じなので、そこまで気にはしていなかったのだが。」って言うのが、何ともPATAらしいです。にっこり

そういうスタンスがここまでバンドに居続けることができた理由の一つだと思いました。照れ

 

 

 

Toshlさんのこと

(P.162から引用)

Toshlさんについて書かれている箇所も少なかったが、脱退のときのことを次のように語っている。

 

『DAHLIA』のツアー『DAHLIA TOUR 1995-1996』が終わったときに、Toshlが辞めることになった。

 

ただ、俺はこの話をHIDEから事前に聞いていた。

Toshlの脱退の話が出る前に、HIDEがYOSHIKIと神妙に話していたときがあった。
 

それから少し経った頃にHIDEと飲んでいたんだが、その飲み屋の外でふたりでタバコを吸っていたときに、あのときYOSHIKIと話していたことを教えてくれた。

HIDEから聞かされたのは、YOSHIKIが「このままではダメだから、1回解散してボーカルを替えて復活する」と言っている、という話だった。

 

Toshlが辞めると言ったのが先なのか、ボーカルを入れてから復活するというのが先に決まったのか俺はよく知らないし、あの頃Toshlがどんな状態だったのかも知らない。

 

辞めるということになってからToshlから家にも電話が掛かってきて、2回ぐらい留守電にメッセージが残っていた。

掛け直そうにも俺はToshlの電話番号を知らなかった。俺がメンバーで電話番号を知っているのはHIDEだけだったから。

 

「Toshlが辞めると言ったのが先なのか、ボーカルを入れてから復活するというのが先に決まったのか俺はよく知らないし」

ええっ?凝視

PATAさん、本当に知らないのでしょうか?今でも知らないまま?

それとも忘れてしまったのでしょうか?

 

「YOSHIKI/佳樹」には次のように書かれていますよ。(P358~P364)

(ロスのスタジオで)

TOSHIがYOSHIKIにこう告げたのだ。「Xを脱退したい」

「俺はいい。でもこのことは俺一人決めるわけにはいかないんだ。だから、今からHIDEとHEATHを呼んで話し合ってもいいかな」

…(中略)…

TOSHIが脱退したことを聞き、すぐにロスに駆けつけたPATAを交え、4人は今後の活動について話し合った。

 

ということは、「辞める」と言ったのが先ではないかと思いますが…。

その後、「いったん解散してボーカルを新しく入れてから2000年に復活する」ってHIDEさんも言ってたんじゃなかった?無気力はてなマーク
これ、順番が違ってたら、そこそこ大きな問題だけど。
驚き

 

それもそうだけど、Toshlさんの電話番号を知らなかったって?…ガーン

Toshlさんから電話があったってことは、ToshlさんはPATAさんの電話番号知ってたんですよね?
「あの頃のToshlの状態も知らなかった」ってことは、何だか、ずいぶんあっさりとした関係のように感じますが…。
ショボーン

レコーディングでのToshlさんの苦しみもあまり知らなかったのでしょうか?泣くうさぎ

 PATAさ〜ん驚き

 

 


ちょっと怖かった…

 

これまでに、不幸なことが起こってしまったメンバーや関係者の多さを感じられている方もいると思う。

 この本の中にもちょっと怖くなった話が…。

 

(P.72から引用)

『SKULL THRASH ZONE VOLUME Ⅰ』のレコーディングは苦い思い出だ。

(中略)

 このアルバムのクレジットでは、誤表記でYOSHIKIYOSHIになっているのはここだけの話だ。

YOSHIKIも「俺はYOSHIになっているけど、まあ、いいか。」とそれで終わったと思う。

YOSHIKIYOSHIになっている
 
上差し

これ、ちょっと怖かった…。

お分かりだと思いますが、YOSHIKIさんプロデュースのXYでデビュー予定だったのがYOSHIさん。
デビュー直前の2022年に不慮の事故で亡くなられました。

 



そして これから

 

これからについては、PATAさんらしく明るく希望のもてる言葉で綴られている。

PATAさんがX・X JAPANにのめり込みすぎずに(表現は適切ではないかもしれないが)いたことが、ここまでメンバーとして居続けることができた大きな要因のように感じた。

 

(P215から引用)

 

ただ俺自身は、あと何年とか今後について考えたことはない。

明日死ぬかもしれないし、何が起こるか分からない。

そんなのを考えていたらやってられないし、考えないほうが良いような気がしている。

(中略)

…HIDEもTAIJIもHEATHも、明日に自分が死ぬとは思っていなかったはずだろ。

とりあえず俺はギターが弾けていればいい。

思うのはそれだけ。

 

X JAPANの活動に関しては、やるときゃやるんじゃないの、くらいに思っている。

俺としてはメンバーの還暦ライブでもやればいいかな、ぐらいの感じ。

あと2年ぐらいで還暦は来てしまうけどな(笑い)。

 

 

還暦ライブができるかどうかは別として、

みなさんお元気で還暦を迎えられることを願っています。ふんわり風船星