PATAさんの本「酔っ払いの回顧録」

 

読後、気になったところを記録としてまとめようと思いつつ

ずいぶん日が経ってしまった。

 

そもそもこの本は、PATAさんの「著書」ではなくインタビューの編集本である。

(ということは、PATAさんが話したこと全てが書かれているわけではないだろう。)


 

だから、著者としてのPATAさんの名前はない。

 

 

PATA 酔っ払いの回顧録
 

発行人 松本 大輔

編集人 本間 彰

編集長 鈴木 伸明

編集担当 辻井 恵/島村 花

インタビュー 長谷川 幸信(P.13~)/山本 彦太郎(P.225~)


 全体的な印象としては、PATAさんらしい語り口調で書かれており、あまり気負わずにサラッと楽しく読むことができた。(ギター🎸に関する専門的なところは私にはよく分からないので、読み飛ばしてしまった…にっこり)

知っているエピソードもいくつかあったが、中学生時代にお父様を亡くされたことなどは知らなかった。

「もちろん思春期の最中での親父の死は悲しかった。ただ俺はそれで自暴自棄になることはなかったし、変に責任感を背負い込むこともなかった。」(p.39)と書かれている。



このインタビューがいつ頃から行われていたのかは分からないが、最終章の小タイトルに「優しいヤツだよ、HEATHは」とあるので、HEATHさん逝去に関することも書かれているかと期待していたが、そこはずいぶんあっさりだった。ショボーン



発売の少し前、複数の予約販売サイト間で書籍のページ数が100ページほど違っていた。


私がいつも購入しているAmazonでは、288ページとなっていた。

ところが別の販売サイトを見ると192ページの情報もあり、100ページ近い差は看過できなかった。



ネットで情報を検索した2/3時点で

版元のRittor Music→192ページ

HMV&Books online→192ページ

オリコンや山陽新聞digitalなどYahoo!ニュース→240ページ

版元ドットコム、Amazon、楽天ブックス→288ページ


SNSでも一部話題になり、発行所であるリットーミュージックへ質問された方もいた。

質問された方への回答によると「予約開始時に、リットーミュージックから各販売会社へ送られた総ページ数の情報が、その後の編集で変更になった」と言うことらしい。

そして、結果的には240ページに情報が統一されたという経緯がある。


 

YOSHIKIさんの原稿チェックが入り、不都合な部分が削除されたのでは…と思ってしまう。無気力

こんな情報もあるし…。下差し

2024.4.12 

ちなみに「音楽業界で、一番最初に原稿チェックを要求したのはX(YOSHIKI)だ」という噂がまことしやかにあるけれど、私の記憶はあやふや。

そんな気もするしそうじゃない気もするし。

 

 

 くるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくる


HEATHさんに関して

 

HEATHさんについて書かれているのは約3ページだけ。

それも過去の思い出がほとんどで、HEATHさんの最期の時に関わる部分はほんの少し。

 

(P.212~P.214から引用)

HEATHと最後に会ったのは、無観客ライブ(2018年9月30日・幕張メッセ『X JAPAN Live 日本公演2018~紅に染まった夜~Makuhari Messe 3Days』)のとき。

もう6年も前になるんだな。

近年ではSUGIZOが自分のライブのゲストとしてHEATHと2曲ぐらいやっていたし、YOSHIKIも自分のディナーショーにHEATHをゲストで呼んでいた。

X JAPANのライブではなかったが、メンバーとしてステージに立てたことはHEATHにとって良かったと思うよ。

(中略)

HEATHの献花式のとき、メンバーとも会った。だが、あのときはバタバタしていたから、特にX JAPANについての話をすることはなかった。

 

2023年11月、俺はTHE LAST ROCKSTARESのライブにゲストで出演した。
これはYOSHIKIから「HEATHがX JAPANで最後に演奏した曲が“Rusty Nail”だから、一緒にやらない?」と電話が来たからだ。
断る理由はない。
X JAPANではなくTHE LAST ROCKSTARESだから、テンポも何も全部違ったけど、ライブ当日に観客を前に演奏して、懐かしいなと思った。
“PATAが出てきて会場のお客さんも喜んでいた”と後でいろんな人が教えてくれたので、それなら良かったよ。ライブ中は俺も「ここにHEATHがいたな」とか「こっちはあいつ(HIDE)なんだよな」などを思ってギターを弾いていた。

XやX JAPANで同じ時代を歩んできたメンバーが亡くなっていくのは、言葉にならないね。辛い。真っ先に死にそうなのは俺だったはずだろ。

 

なるほど。真顔

「メンバーとしてHEATHがステージに立てたことを良かった」と評価していることは、一面そうなのかなとも思う。

しかし、その時の病状を慮る言葉がまったく出てこないのには何か違和感がある。

癌末期の辛さを押してステージに立ったHEATHさん。それでも嬉しそうな表情は見て分かる。YOSHIKIさんはMCで「5時間近く(明け方まで)HEATHと電話で話した」と明かしていたが、病状を推し量るに、長時間の電話もずいぶん辛かっただろうと思う。

HEATHさんが最期にYOSHIKIさんに託した本当の思いは何だったのだろう。


病気については後で知ったこととは言え(インタビューでも話題に出なかったのか)あっさりと書き飛ばされているようで残念である。



誤解のないように付け加えますが、これは決してPATAさんがHEATHさんのことを思い遣っていなかったと言いたいのではありません。
「インタビューの編集本」ということを常に念頭に置いて書いています。

インタビュアーがどのように質問したかは書かれていませんし、PATAさんが話したことをどう切り取って編集するかは編集者に任されていると思います。


 

 

TAIJIさんについて

(P.130から引用)

 

2回目に東京ドームに立ったのは、92年1月5~7日の3デイズ『破滅に向かって』だった。

このライブを最後に、結果的にTAIJIが脱退することになった。…

91年の年末の目黒鹿鳴館のイベントの際にこんな出来事があった。…

あのときはYOSHIKIも鹿鳴館にいたのだが、何か揉めていたのか、話をするために途中で外に出て行ってしまった

しばらく立って戻ってくると、YOSHIKIは「TAIJIをクビにすることにした」とおもむろに口にした。

それを聞いたときは、あまりに突然の出来事に「ああ…なるほど」くらいのことしか言えなかった。

ただ、そんなにびっくりはしなかった。

気配はなんとなく感じていたから。

ただ、このときYOSHIKIが誰とどんな話をしていたかなど、細かい出来事に関してはまったく知らない。知っているのは、YOSHIKIがTAIJIをクビにする、と言う事実を俺に伝えたことだけだ。

(中略)

3日目の最後の曲は「ENDLESS RAIN」だったと思う。

それがTAIJIとXで演奏する最後の曲でもあった。(中略)

通常の「ENDLESS RAIN」は、TAIJIが途中からベースを弾かないライブ・アレンジになっていたけど、あのライブのときのアイツは、ずっと音を出して最後まで弾いていた。


「通常の「ENDLESS RAIN」は、TAIJIが途中からベースを弾かないライブ・アレンジになっていたけど…」って無気力
そうやってライブでは自分ばかりが目立ちたいYOSHIKI🙅むかつき


真顔 TAIJIさん解雇に関して、メンバーへの事前の相談が全くなかったことは明白。『YOSHIKI/佳樹』には次のように書かれている。


 (P.286から引用)

さっき、TAIJIをクビにしてきた。悪いと思ったけど、独断で決定させてもらったよ。
理由はみんなも分かっていると思う。
でも、もし俺の結論に反対ならこの場でいって欲しい。
そして、もしTAIJIをクビにしたことに不満で、Xを辞めたいのであれば、今辞めてもらっても構わない。
イエスかノーか、この場できっぱり聞かせて欲しいんだ。

この言葉の後「YOSHIKIの決めたことに異論はない。」とのメンバーの言葉が続く。

 

TAIJIを解雇した理由についてYOSHIKIは「言えない」と明言を避けたことで、いかにもTAIJI側に何か違法な行いがあったかのような憶測も広がった。

 

TAIJIさん自身は2000年4月30日発行の著書『Xの生と死』の中で、次のように綴っている。

(P.105から引用)

辞めた理由については諸説飛び交ったが、本当の理由だけは、ずっと俺の胸の中にしまっておいた。

今、あえてそのことについて触れられるのは、俺の中でやっときちんと精算できたからだ。

やめるきっかけになった直接の原因は「金」なのだと思う。
常日頃から「印税は平等に5等分すべきだ」と主張してきた俺の存在がうっとうしくなっていたのかもしれない。

(中略)

確かに、俺はトラブルメーカーだった。
でも、決して不必要な人間ではなかったと思う。
Xの曲のほとんどは俺がアレンジしてきたし

(中略)

今振り返ると、すべての発端は「ブルーブラッド」だった。
俺たち5人ともかなりのアイデアを持ち、作曲にも意欲的に取り組んでいた。

ところが、いざリハーサルに入ると、最初から最後まで、YOSHIKIの曲だけで終わらせられてしまう。

俺はこの時、思わず生意気な口を叩いてしまった。
「他のメンバーの曲も使ってやれよ。配分も一緒にして、みんな平等に割るのが本当だろう。リーダーだってやっていいことと悪いことがあるんじゃないのか」

(中略)

その後しばらくしてから、俺だけが別契約になった。
スタジオミュージシャンとしての契約になったのだ。


真顔 実際に「BLUE BLOOD」12曲中、9曲が作詞・作曲or作詞=YOSHIKI。他の3曲が他メンバーの曲。しかし、編曲は全曲=Xになっている。

著作権印税は作詞・作曲した人に払われるとすると、ほとんどの印税はYOSHIKIさんに持って行かれるのだろうか?

 Xがメジャーデビューした当初から収入格差は大きく、YOSHIKIさんが他メンバーの何倍も得ていたようだ。


『YOSHIKI/佳樹』のP282には「TAIJIは常にもめ事を起こす火種でもあった。…メジャーデビューを迎えた時期に結婚したTAIJIは金銭にも名誉にも貪欲だった。」と書かれているが、一番貪欲だったのはYOSHIKI、あなたですから物申す。そしてその貪欲さが招いた崩壊。


 

XのLIVE動画(YouTube)に、「元スタッフ」という方のこんなコメントがあった。

 


今じゃYOSHIKI、お前がクビだよ。

Xをこれ以上、ぶち壊すな。

 

<毎年アルバムのことを言ってますが、一向に出しませんし…>のコメントへの返信

 

出せないです。出しても売れないからです。活動も現時点、3人じゃ無理です。
曲もYOSHIKI一人で作った訳ではなく、ヒデさん、タイジさんがいたからあれだけの曲ができたようなもんです。

 

<タイジさんは何で脱退したの?>のコメントへの返信

 

Xに加入する条件の一つとして、内容ごとはリーダーのYOSHIKIが決めるってあって、LIVEやら収入源の振り分けにあまりにも差額があり、タイジが「割に合わない、お前だけのXじゃないし、お前一人でやってる訳じゃないだろ」って反発して、結果、約束を破りクビになっています。


2010年の「プロインタビュアー吉田豪の元○○な人々」でTAIJIさんが語られていることなど諸々を勘案すると、上記の元スタッフさんの言われてることには真実味がある。真顔


再度、ご確認ください。下差し

 


そ・し・て


YOSHIKIさんの事務所は「2018年から現在に至るまで5年以上にわたり、繰り返し、複数の記事において、X JAPANの各メンバーとの契約においてその報酬の支払いをしていない旨の記事を掲載した小学館」を相手に訴訟をおこした。

 

 
炎火のないところに煙は立たないのでは?と思ってしまうのだが。

本当に正当な報酬が支払われてきたのなら、証拠はすぐに出せるはず。物申す

ただ…その契約が…不当な低賃金労働ってことはないよね?凝視

 


 

猫しっぽ猫からだ猫あたま熊しっぽ熊からだ熊あたま黒猫しっぽ黒猫からだ黒猫あたまビーグルしっぽビーグルからだビーグルあたま牛しっぽ牛からだ牛あたま

 

PATAさんの近影を見るに、とても痩せ細られていて健康が心配です。

大事なければよいのですが。ショボーン



PATAさんの本に関しては、まだもう少し書き足りませんが、長くなるので次回にギター


★Toshlさんのこと

★無料配布ビデオエピソード

★人の物も”自分の物”

★怖いことに…


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サムネイル

余談ですが、『YOSHIKI/佳樹』は以前フリマで売ったのですが、やはり調べたいこともあるので持っておこうと思い直して、先日、某フリマサイトで再度購入しました。
最低価格300円から売られています。
私が探していた時には、65%引き(これは某フリマサイトが独自に商品を選んで割引設定している)のものがあり、何と何と🙄150円で購入しました。
届いたものは新品同様。口笛 定価:本体2200円(税別)ですよ。投げ売り価格ですね。