昨日、X(Twitter)で悲しい知らせが目に飛び込んできた。

 

 

りっくんの父です。

3月11日息子は息を引き取りました。何かと気忙しい日々が続き報告が遅れたことをお詫び致します。

息子は永遠に痛みも辛さも苦しみもない世界に旅立ちました。最後は安らかに穏やかに凛々しい顔を残してくれました。みなさまの応援や励ましに何度心を救われたことでしょう、心からお礼を申し上げます。そして息子を支えてくれた彼女に「最後までありがとう」     父と母より


なお、生前にこのアカウントは私に託されました。

近日中に閉鎖する予定です。




私は、この方のXポストを以前取り上げさせていただいた。


余命宣告によって死と向き合いながらも、決して希望を捨てず、自分を見つめ、人生を見つめ、その思いを綴ってこられた言葉は鬼気迫るほど迫力に満ちていた。


緩和ケアに移られる以前から、高熱と嘔吐、そして耐え難い痛みとの戦い。その苦痛は経験した人しか分からないだろうが、綴られる言葉から想像することはできる。


「もう覚悟はできたから、苦痛をとって欲しいとお願いした。」


…壮絶な苦痛との戦い、死を受け入れるまでのその過程と心情を想像すると、胸が締め付けられる。


若くして他界されたこの方は、同じような苦しみにある方々を励まし、勇気を与え、そして何より「生きること」「死ぬこと」への深い示唆を与えてくださったと思う。


最後はお父様がポストされていたが、我が子を亡くされたご両親の気持ちを思うとやるせない。

ご子息が亡くなられて約2週間後のお知らせだったが、御葬儀など大事な時間を御霊と共に過ごされていたことと思う。



ご冥福をお祈りいたします。









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この方の記事を読むようになったのは、ちょうどその頃、HEATHさんがやはり大腸癌で他界されたから。



大事な家族の死、ましてや先に逝ってしまった我が子を思う親の気持ち、悲しみは、いかばかりだったか。




それを思うにつけ、あの時のことが思い起こされる。



YOSHIKIさんが「身内の不幸」を理由に緊急帰国。

HEATHさんの弔問に訪れたであろうときに、喪服姿で自撮りした写真をインスタグラムにアップ。しかしその文面の多くは自分の受賞のこと。

弔事と慶事を同時に発信する異常。

これがどれほど異常なことであるか、常識的には誰でも分かるだろう。

客観的に見ても許し難いことだが、ご遺族が「家族葬が終わるまで内密にしたい」という意向を持たれていたのに、YOSHIKIさんから「身内の不幸」と「喪服姿」が出たことで、詮索されるのは必至。

残念で悲しかっただろう。


なのに「親族の意思とは別に、メンバーのことが一部、報道が出てしまったようです。」などと言った挙げ句、訴訟問題にまで発展。


喪服姿で自撮りし、公に出した自分の行為を、本人はどう評価しているのだろうか?

もっというなら、国内ではあの授賞式のことは知られていないのだから「出席をキャンセルして急遽帰国を決めた」ことも内密にできたはず。

誰にも知られることなく帰国することはさほど難しくなかったはずだ。にもかかわらず、わざわざ報じたことが、週刊誌に話題を提供する結果に繋がることは容易に想像できる。


それに、癌末期であっただろうHEATHさんが、恐らくは苦痛をおしてディナーショーに出演されたことを思いやる言葉があっただろうか?

「何時間も電話で話した」仲良し自慢のようなコメントはあったが、そのことも後悔しないのだろうか?

人によるところもあるとはいえ、りっくんのポストを読んでいると、HEATHさんの病状や苦痛をも想像してしまう。


人の思いや状況を推しはかる、共感する、己の言動を振り返る、反省する、次に繋げる…大人として社会人として以前に、人として大事なことだろう。


このような行為をしても誰にも諌められずこれからも生きていくとしたら、最後はどのような姿で人生を終えるのだろうか。