介護の母との散歩道


 

夕暮れの空を見上げて

 

「天気がいい日には 向こうに雲仙の峰が見える…」

 

そう言って 


立ち止まっては 遠い西の空を見つめていた

 

「今日は、霞んで見えんね… よぉ見える日もあるけど…」


 

 

****************



 



 夜明け時



朝日に照らされ 黒く光る有明の海の向こうに

 

 くっきりと聳え立つ雲仙の峰


黒く威厳に満ちたその勇姿


それはひょっとして 霊山なのだろうか


 


病院から自宅へと向かう葬儀社の車窓から

 

白布に包まれた母と共に見た雲仙の峰は

 

胸に迫り来るほどの迫力をもっていた

 

 

「お母さん…今日は雲仙の峰がよぉ見えるよ」

「やっと 家に帰れるね…」

 

 


***********

 


45年前

父の死に目に会えなかった私

 

今 母はゆっくりと時間をかけて

生から死へと移りゆく様子を見せてくれた



三度の癌を乗り越え

長年 一人暮らしを続けた母


その強さは語るに余りある


食が細くなり

心配する私たちに

いつも言っていた

「大丈夫 ちゃんと食べとるよ」

「無理せんようにね、体に気をつけて」



癌転移に余病も併発していたが

 高齢でもあるので 詳しい検査や強い治療は憚られた


そんな状態でも気丈に振る舞い

他人の心配ばかりしていた母





 

父が亡くなったとき

まだ高校生だった弟は

父の亡骸の前で 医者になることを決意した


 

その志を遂げた弟夫婦の手で

最期の医療を施され 

旅立った母

 

 



 

灯火 まさに滅せんとして 光を増す

 

危篤状態になる前日

面会に行った姉と弟

 

その数日前に私が面会に行った時には

誰が来たのかも認識できないようだったが

その日は 意識がはっきりしており

 身動きもできない状態だったにもかかわらず

二人の帰り際には

「気をつけて帰って…」と

両の手を数回上げて見送ったのだという

 

その日の夜

その様子を姉から電話で聞いた

 

いつもは言葉少なく

「あと何日ぐらいか」と聞いても 言葉を濁す弟だったが

その日には しきりに母の枕元で頭を撫でながら

「ありがとう…ありがとう…」と言い続けていた

帰り際に お母さんが手を上げて見送ってくれた

動くこともできなかったのに、手を上げて…

これは蝋燭の灯が消える合図では…

さよならの合図では…と



 

そして

翌朝に受けた危篤の報



 

**************



 

危篤状態になってから三日間

 生から死に向かう命の際を見届けた


 

最期の夜に姉と語った昔の話

 

私たち姉妹には厳しかった母

48歳で夫を亡くした母の気丈さ

子どもを3人抱え、親戚関係も多くて大変な中で

泣き言を聞いたことがなかったこと

孫たちへもたくさんの心遣いをしてくれたこと

たくさんの人たちとの交流

あそこへもここへも旅行に行ったこと

退職後の生活を謳歌していたこと

…幸せだったよね


 

そんな話をしてふと母の顔を覗き込むと

目元に涙がたまり

顔の横には涙の筋…

 

聞いていたんだね



不思議なことに

ふと気づくと

病室のカーテンに

大きなトノサマバッタがとまっていた

母の枕元に近いところに

カーテンの色そっくりの大きなトノサマバッタが…

稲刈りを終えた田んぼからやって来たのだろうか

急に冷え込んできたので動けなくなったのか

逃がそうとしても動かず

じっとそこにとまっていた


 

深夜零時を過ぎ

いつの間にか眠ってしまった私の耳に

 

「…もうすぐ呼吸が止まる」

 

弟のその声で我に返った



モニターの血中酸素濃度が50%を割り さらに下がり出す

心電図が大きく乱れ

フラットが続く


やがて

静かに呼吸は止まった


ほんの数分の出来事だった

 

 




 

トノサマバッタは

母の臨終の時にもそこにいて

じっとその時を見つめていたのだろう

 

病院での全ての処置が終わり

葬儀社が到着して病室を出るときも

そこに居て

見送ってくれた…


 

45年前に逝った父が 迎えに来ていたのかもしれない


 

 


**********



 

母の財布の中に入っていた

父と母 二人だけの写真

 

子どもの頃

家族で行った萩旅行

松下村塾前で撮った父と母のツーショット

 


色あせたその写真の裏側にはこう書かれていた

 

私の宝物

二人の写真は

これ 一枚

宝物

宝物

宝物!!

 

萩 松下村塾

 


 

宝物の写真

棺に眠る母の胸元に忍ばせて見送った


 

父によろしく伝えて欲しい

 

たくさんの愛情と

人との繋がり

思いやりの大切さを受け取って

私たちはこれからも

歩みを続けます

 


ありがとう…


ありがとうございました






****************




『生き様』年老いた母との定期的な僻地生活  70代までの母は、何事にも精力的でポジティブ地域活動や旅行にも積極的だった。 家庭菜園ではたくさんの野菜を栽培しいつも山盛り…リンクameblo.jp


今思えば、この「生き様」の記事は、母と家で過ごした最後を綴ったものになってしまった。

このとき感じた不安が現実のものになってしまった。

直後に母は体調を崩して、入院と施設での生活を繰り返し、約1年2カ月振りに無言の帰宅をした。