先日、通院して先生から言われた言葉で自分の中で衝撃的だった事。
「さくらさん夫婦は、無言の話し合いをきちんとしているんだよ」
無言の話し合い?!
最初は私は意味がわかりませんでした。
だって、話し合いって、お互いが思う事や考えている事を言葉に出してきちんと相手に伝える事でしょう?
私も人の事は言えないけど、私たち夫婦は、この「話し合い」っていうやつが出来なくて今に至るんです。話し合おうと思ってもうまく会話が噛み合わなかったり、伝えたい事を上手に伝えられなかったりして、結果玉砕する事がほとんど。
私は感情的にならないっていう事はいつも心がけているから、怒鳴りあいの喧嘩とかにはならないものの、なんだかよくわからない消化不良みたいな感じで終わっちゃったり。
それがいつも悩みでした。
話し合いすら出来ない夫婦。
そう思っていたし、今でも思ってます。
でもね、「話し合い」って言葉で伝え合う事だけが全てじゃないんだって。
例えば、夫は半年前は私の作った料理を食べるのも嫌だ、と言い、新年明けてからも、私と夫別々の食事をする、という期間が続いたんです。
私がいくら「一人分作るのも二人分作るのも変わらないよ」と伝えても、「嫌だ」の一点張りでした。
私も、夫がそこまで言うのなら、と思い、しばらく私は自炊、夫はコンビニ弁当、が続いた時期があったんですけど、私が何も言わずに淡々とそんな生活を続けていると、とある日に夫から、「俺が今日は二人分作るけど食べる?」と歩み寄ってきた事があり、その翌日に、私が「今日は二人分作ろうか?」と言うと拒否しなかったので、そこらへんから、食事は食べる時間は別でも一緒の食事を食べるようになり、私の作る食事も夫は食べるようになりました。
これもね、私の「理想」としては、きちんと「食事はどうするか」っていう「話し合い」をして、結果的に一緒の食事を食べる、、という過程を踏むのが「常識だ」と思っていたんですね。でも、違うようです。
お互い、押したり引いたりする事で、結果的に言葉はなくとも、きちんと「無言の話し合い」が出来ている証拠なんですって。
なんでもかんでも言葉にして、伝え合って話し合う事だけが全てじゃない、と。
先生に言われて、私も「なるほどな」と思いましたね。
もちろん、言葉で伝える事の重要性は感じているし、もっともっと大事な事はいつの日かきちんと話し合ったりする日が来るのかもしれないけど、、
それを「常識だ」と決めつけていた私も確かに居ましたね。
そんなの私の勝手な常識と思い込みな部分もあったのね。
ブログなどから、「思いを素直に上手に伝える事が大事」というインプットが強すぎて、それが出来ない私は「ダメ」なんだ、と烙印を押していたんです。
でも、夫に対して出来ない分、仕事では、このへんは上手にできるようになった気がするんです、最近。
自分が思っている事はきちんと言葉にして相手に伝えるし、イヤな事はイヤだときちんと言うし、感謝すべきところは「ありがとう」ときちんとお礼を伝えて。それが仕事上のパートナーでも後輩でも上司でも同じ。
このスタンスを職場で心がける事で、仕事上の人間関係は驚く位スムーズに円滑に、私自身のストレスを感じる事なく過ごせるようになったんです。
それだけでも十分じゃない??と思うように最近ではしているんです。
私の生活を見た時に、夫との時間や生活が私の全てじゃない。
職場との付き合いがあって、親や友人との付き合いがあって、夫との付き合いもある。それぞれ、その時々にベストなやり方で自分がストレス無く過ごせる事も、時には大事なんじゃないかって思うようになってきました。
夫と「無言の話し合い」が出来てるからといって、職場でそれをやったらきっとうまくいかないし、時と状況と場合に合わせて自分が対応出来ているのなら、それはそれでいいじゃないって少しライトに捉えてみようって。
私の理想論を先生に語るとね、相変わらず今でも言われるんですよ。
まだまだあなたのガチガチな理想論と固定概念が強すぎる!!ってね(笑)
今のままの私で、次の人にいったとしても、きっと同じ事を繰り返す、と。
私もそう思っていて、まだもう少し今の生活から私自身の学びがあるような気がするから、もう少しこの生活を続けてみても、意味があるのかもしれないって少しだけ思えるようになってきました。
先生から見ても、やっと私が、相手と依存しあう関係ではなく、自分は自分って思えるようになってきて、相手との境界線も上手に引けるようになってきたところだから、まだまだ私自身の成長につながる部分はあるねって。
この先何年も夫と過ごしていくのかどうかはわからないけど、少なくとも「誰かと生活を共にする」という点では、かなり至らない点が多かった私が少し成長出来ているような気がするから、もう少し自分自身の為にも頑張ってみようかと今は思っています。