「そして2回目のセラピーの後、うれしいことが2つありました。
1つ目は日曜日に友達の家に行ったときのことです。
私は資格をとるために教室に通っているのですが、
その日は友達が練習相手になってくれたのでした。
練習を始めても、もたもたしてなかなかうまくできません。
その日は友達が練習相手になってくれたのでした。
練習を始めても、もたもたしてなかなかうまくできません。
今までの私だったら、そんなぶざまな姿を友達に見せるはいやでした。
もたもたしてあせり始めた私に友達はやさしく
もたもたしてあせり始めた私に友達はやさしく
「私のは、やりにくい形をしてるやろう。」って声をかけてくれました。
その瞬間、私は
「ここに、2つひっかけて、そしたら、押さえて、右手をあげて、
「ここに、2つひっかけて、そしたら、押さえて、右手をあげて、
はさめたら、いいねんけど‥。」
って言っていました。
そして、かっこ悪い自分が恥ずかしかったけど、
ゆっくりもう一度やろうって、勇気が勝手に出ました。
「ひっかかてる?」
「うん、ひっかってる。」
「はさめた! 変な感じしない?」
「うん、大丈夫。」
という会話を交わし、
やっと1つ出来上がりました。
出来上がったとき、私が顔を上げたら、
友達が息を止めて私の顔を見ました。
そのあと、私が「できた! うれしい。」
と、にこっと笑ったので、友達は安心した様子で、同じように笑いました。
このことがどうしてうれしい出来事なのか、
このことがどうしてうれしい出来事なのか、
当たり前すぎて、分からない方もいらっしゃると思います。
私は自分の用事のために人に待ってもらったり、
人の時間を使うのが悪いなあと思うタイプで、
人といるときに、こんなふうに、自分のことを聞いてもらって、
一緒にやってもらうってことができませんでした。
居心地が悪かったのです。
でも、今回は友達の練習につきあってくれるという
居心地が悪かったのです。
でも、今回は友達の練習につきあってくれるという
やさしさに甘えて、もたもたしながら練習をし、
自分の思ってることを何も考えずに、素直にしゃべっていました。
そして、私のために友達が時間を使ってくることを
(変な言い方かもしれませんが、)自分に許すことが、
このとき何故か、すっとできて、しゃべりながら、
練習して楽しく過ごしたのでした。
練習して楽しく過ごしたのでした。
居心地悪くなかったんです。
そういうことはほとんど今までなかったことなのに、
そういうことはほとんど今までなかったことなのに、
何も考えずに自然にできてたので、びっくりしました。
ヒプノセラピーを受けてたから、
この2つのうれしい出来事を咲楽先生にお話したら、
まず1回目のセラピーで、自分を癒し、
そのあと2回目のセラピー後に
自分の気持ちを許すことができるようになってきていて、
その後、練習に行った日には、
その後、練習に行った日には、
友達にぶざまな自分を見せることもできたし、
練習につきあってもらっても悪いと思わず、
また、自分の素直な気持ちも言えたのだと思いました。
私が顔を上げたとき、友達が息を止めたのは、
私が顔を上げたとき、友達が息を止めたのは、
私の次の反応が読めなかったからだと思います。
けど私が笑ったので、友達も安心して笑ったと思います。
私のくったくのない様子を友達も今まであまり見たことなくて、
この日はいつもと違うなって、びっくりしてたんじゃないかな。
この日は、他愛のない世間話をしてただけなのに、
全然気を使わずに、自然体で過ごせたから、とても楽しかったです。
人と会ったときに、今まではよく疲れていましたが、
この日は本当に楽しかったです。
この日はいつもと違うなって、びっくりしてたんじゃないかな。
この日は、他愛のない世間話をしてただけなのに、
全然気を使わずに、自然体で過ごせたから、とても楽しかったです。
人と会ったときに、今まではよく疲れていましたが、
この日は本当に楽しかったです。
2つ目は病院にリハビリに行ったときのことです。
私は肩を傷めて、週に3回リハビリに通っていますが、
私は肩を傷めて、週に3回リハビリに通っていますが、
その日の10日くらい前から、少し痛みがでたり、おさまったりしていました。
その肩の様子を伝えた後の、私とリハビリの先生との
会話は次のようなものでした。
会話は次のようなものでした。
「痛みがでてるから、心配な感じもするけど、
肩の関節の動きは今まで一番よくいいので、
関節の稼動域を広げるリハビリをしてほしいなって
思ってるんです。」
思ってるんです。」
「そうですね~、でも今日はあまり動かしたくないんです。」
「ああ、いつもと違って、今日は右手がしびれてるからですか。」
「はい。」
「そうですね、今はしびれは少しだけど、もっと動かしていったら、
しびれが前みたいに大きなものになるかもしれないし‥。」
「そうなんです。」
「じゃあ、今日は動かさなくて、様子見て、
今度のリハビリで、痛みがあっても大丈夫そうなら、
また稼動域を広げるリハビリをしたらいいですよね。」
それで、あとは楽しく世間話をしながら、リハビリを受けて、帰りました。
帰ってから、ふと気づきました。
帰ってから、ふと気づきました。
私は何も考えずに、リハビリの希望を先生に伝えられていたんだなって‥
これまでは、リハビリの先生には、先生の考えがあるから、
私があれこれ言うのは失礼かなって思って、
希望を言うことにためらいを感じていました。
それから、リハビリの先生に限らず、希望を誰かに伝えたい時は、
言う前に、こんなこと言って、気を悪くされないかな、
こんなこと言って、笑われたらどうしよう、
こんなこと言って、反対されたらどうしょう、
‥っていう思いがぐるぐる回って、どきどきして話していたのに、
この日は、何も考えずに希望をさらっと言えていました。
そして、「今日はあまり動かしたくないんです。」って
言われたあとのことですが、いつもなら、
反対されてしまった、どうしよう、
気を悪くしはったかな、
‥など、いろんな思いがかけめぐって、
どきどきして、頭が真っ白になって何も言えず、
ぎくしゃくしてまい、雰囲気が悪いまま、暗い気持ちで帰っていました。
ところが、その日は、普通に会話が続いていました。
ところが、その日は、普通に会話が続いていました。
しかも、先生の答えを聞いた後、先生の答えはYesではなかったけど、
私は自分の素直な気持ちをそのまま言えていたので、
リハビリの先生に反対されてしまった‥とも、
いやだな‥とも、何も思わず、
今日は無理かあ、また今度だなって、すっきりした気持ちだったんです。
なんていうか、リハビリの先生に希望を言うことで、
~してほしいという素直な自分の気持ちを押し殺さず、
大切にできた感じでした。
これが大切なんですね。
これが大切なんですね。
気持ちを押し殺さない、
なんでもかんでも言っていいわけではないけれど、
気持ちを押し殺さず、伝えられそうなら相手に伝える‥
これができたら、うれしい、
これが自分の気持ちを大切にするってことなんですね。
今までの私は、今回のリハビリの先生との会話のような、
今までの私は、今回のリハビリの先生との会話のような、
こんな小さな気持ちでさえ、言えなかった。
「理想の私像」や「こうあるべき私」が強くて、
希望を言うことを禁じていました。
これが、咲楽先生が言われたこと‥
これが、咲楽先生が言われたこと‥
「ブロックがいっぱいかかっている、
体に太い綱がぐるぐると巻きつけれているようなイメージです。」
だったんですね。
これでは、しんどかったはずです。
これでは、しんどかったはずです。
こういうことが分かったあと、自分の気持ちをポンっということは
そんなにむずかしくないのに、
どうして、あんなにごちゃごちゃ考えて、動けなかったんだろう、
もっとシンプルに生きていったらいいやん‥
って思うんですが、でも、ヒプノセラピーを受ける前は、
どうしてポンと自分の気持ちが言えないのか、
どうしたら言えるようになるのか、
本を読んでも、いっぱい考えても、友達の話を聞いていても、
本当に分からなかった。
ヒプノセラピーに出会えて、本当によかったです。(中略)
この2つのうれしい出来事を咲楽先生にお話したら、
先生は、「2つとも、言葉のキャッチボールが
あったのが、いいですよね。」って言われました。
なるほどなあ‥
なるほどなあ‥
今までは、こんなこと言ってもいいかなって一人でヤキモキしたり、
相手の返事を聞いて、否定されたんだって一人で悲しい思いになったり、
なんか一人相撲をとっていたんだな、
言葉のキャッチボールができたから、楽しいって思ったり、
気持ちがすっきりしたりしたんだ、
これなら、今度恋人ができても楽しく過ごせそう‥
相手の返事を聞いて、
なんか一人相撲をとっていたんだな、
言葉のキャッチボールができたから、楽しいって思ったり、
気持ちがすっきりしたりしたんだ、
これなら、今度恋人ができても楽しく過ごせそう‥
もちろん、ヒプノセラピーを受けたことで、
すべてのことが解決したわけではないけど、
すべてのことが解決したわけではないけど、
私に大きな変化があったし、気持ちが楽に過ごせているので、
とてもうれしいです。
私は自分で言うのもなんですが、
もともと感受性が強くて、また、あれこれ考えてしまうタイプですが、
もともと感受性が強くて、また、あれこれ考えてしまうタイプですが、
この性格はいけないものだ‥と否定はしないけど、
ただシンプルに生きられたらいいなあって思います。(中略)
でも、2回目のセラピーが終わって、さらに日が経つにつれて、
シンプルに生きていけたらいいなあっていうことさえも考えなくなってきて、
ただ、私がいるって感じになってきました。
ただ、私がそのときしていることに没頭して、存在してるって感じかな。
ありのままって感じです。」