おととい、ピアノの先生のお宅へお伺いしました。
1月の日記にも書いたのですが、私の最後のピアノの先生が去年、亡くなられました。
私にとって最高の先生でした。
もちろんピアノでも、人格者としても。
だから知らせを聞いても、今でも信じられません。
でも先生はもうこの地上にはいません。
とってもお世話になった先生なのに、大好きな先生だったのにお礼をきちんと伝えることもできず、お別れとなってしまいました。
だから、せめて、先生のお宅に行って、先生のご家族(奥様)に今までのお礼を伝えようと思いました。
そのことを奥様にお伝えすると、ぜひ来てください、とお返事をいただいたので、行ってきました。
先生のお家に行くのは約4年ぶりです。
先生のお家に行くと、奥様と先生の一番上のお子さんが出迎えてくれました。
ずっとホームレッスンを受けていたけど、先生のご家族には一度も会ったことがありません。
今回、初めてお会いしました。
奥様もお子さんもムッチャ美人さんでドキドキしました@@![]()
私:「こんにちは。ずっと先生にお世話になっていたかろやんです。」
奥さん:「遠いところ、ありがとうございます。お待ちしておりましたよ。」
娘さん:「はじめまして。娘です。どうぞ上がってください。」
と、挨拶の後、先生のレッスン室に通してくださいました。
先生のレッスン室。
最後に見た風景となんら変わっていません。
グランドピアノ2台が横並びになっています。
壁一面の大きな本棚には作曲家別、出版社別に楽譜が整理されています。
入りきらなかった本はピアノの蓋の上や、ピアノの下に積み重ねてあります。
でも、唯一違っていたのは、先生の遺影が飾ってあったことです。
キリスト教を信仰していた先生の写真の側には聖書が開かれていました。詩篇の103篇です。
先生はやっぱりもうここにはいないんだな。
写真の中だけの人になっちゃった。
と、写真を眺めていると、先生の奥様がお茶とお菓子を持ってきてくださいました。
私:「先生のレッスン室、全然変わっていないから、先生がいなくなったことがまだ信じられないです。」
奥さん:「そうなの、主人がいた時のままにしているの。ピアノもね、もういいかな?って思ったときもあったけど、主人の生きた証だから残しておいてあげなくちゃ、と思って。」
私:「私、先生に習っていた頃はいつも緊張して『はい』、『分かりました』、『すみません!』、ぐらいしか言わなくって、先生に聞きたいことがあっても質問ができませんでした。先生の謎がいっぱいです。だから今日は先生のことをいろいろ知りたいです。先生のこと、いろいろ教えてください。」
奥さん:「あらまあ・・・。そう言っていただけてとても嬉しいわ!」
と、用意してくださったおやつを頂きながら、奥さんが先生の話を聞かせてくださいました。
先生がどうしてピアノの道を選んだか。
東京藝術大学受験のこと。
そして音大生としての生活。
奥さん:「私はね、主人が学生の頃に出会ったの。主人とデートといっても、どこにも出かけることはなかったな。いつも彼の家でピアノの周りで過ごしていたの。練習をしながら私と話をしてくれていたの。
こんなのがずっと続いていたからね、『練習、練習ばかりでいかげんにしてよ!』と、よく不満をぶつけていたな。
でもね、彼はいつもこう言ってたの。『僕には才能がないんだ。藝大は才能を持ったやつが集まるところだ。みんな音を聞いただけで、楽譜をちょっと見ただけで立派な音楽を奏でていく。僕にはそんなことはできない。練習しかないんだ。ちょっとでも練習を休むと、みんなとの差がどんどん広がっていく。だから休んでられないんだ。』
って、いつも練習してたの。
食事もね、パン屋さんで耳をもらって右手でそれをかじりながら左手の練習。左手で牛乳を飲みながら右手の練習。
そんな感じだったな。」
と、先生の練習の様子を聞かせてくださいました。
うへ~(゜д゜;)
練習の量がはんぱないですっ
寝る以外の時間は全て練習にささげていたんだ![]()
先生が切磋琢磨していた仲間には、青島広志さん、坂本龍一さんもいらっしゃったそうです。
きっとマイケル先生の『練習』というのも、このレベルのことなのかもしれません(_ _。)
そりゃ私の練習なんて、練習じゃないな![]()
私:「先生の音楽がどうして素晴らしいのか分かりました。先生のお手本を聴かせていただくのは嬉しかったけど、レッスンは恐かったです。」
奥さん:「そうね、主人はレッスンのときはそれは厳しかったわね。特に男の子には。男の子の生徒にはどなったり、ピアノや楽譜を叩いたりして、よく泣かせていたわね。 男の子にはね、『本当に音楽の道を進むのか?他に何か得意なことはないのか?勉強は好きじゃないのか?音楽で食べていけないんだぞ。それでも音楽に進んでいくのか?』って、いつも問い詰めていたの。
それでも、ピアノでやっていきたいって決心した子には、必死で教えていたわ。だって、その子の人生がかかっていたからね。来る子、来る子をよく泣かせていたな。」
と、レッスンの話も聴かせてくれました。
先生は自分がたどってきた道だからこそ、困難や将来性のなさをよくわかっておられたからこそ、生徒さんたちのことを思って厳しくなっていたんですね。
そして先生の闘病についてお話くださいました。
先生は10年前に病気に罹り、手術をしたり、治療を受けてきました。
でも6年ぐらい前から病気の進行が治療よりも先を行くようになり、入院治療も必要となったそうです。
先生は大学の先生でしたが、その頃から付属小学校の校長もなさっていました。
校長という業務は、休みをなかなか取ることができない。
それに使命感を持って勤務されていた先生です。
学校の代表者として穴を開けることができない行事には、病院に外出許可をもらい出勤されていたそうです。
その時の勤務先の学校は先生の家から非常に遠い。電車やバスを乗り継いで通っておられました。
歩くことも容易でなくなった先生は杖をつきながらも自分の力で進んでいったそうです。
奥さまもそのサポートを一生懸命に努めておられました。
出勤中の電車内や道で、先生は倒れることもたくさんあったそうです。
でも、悲しいことに、誰も先生の側に駆け寄って助けてくれることはなかったそうです。
先生がどんなに苦しそうにしていても、席を譲ってくれることはない。
先生が車道沿いで倒れても、血を流していても、誰も立ち止まってくれない。
このとき、「誰も助けてくれないんだ。自分しか頼れるものはないんだ。」と、日本の社会の冷たさを感じられたそうです。
先生も奥さまも、病気のことはご家族以外には誰にも告げなかったそうです。
絶対に治るから、って、家族だけで乗り越えていこうとされたそうです。
可能性のある治療は受けていく。
でも、その強い副作用も襲ってくる。そして別の病気も他の部分で発生してくる。
先生の体はぼろぼろになっていきました。
先生の体力は低下していきます。足を動かすこともできなくなっていきました。
自分で起き上がることも、ベッドから動くこともできなくなってしまいました。
でも、そんな中でも先生の心は常に前向きだったそうです。
明日をいつものように迎えて、いつものように生きていく。
だからいつも『大丈夫、大丈夫。』と、口にされていたそうです。
闘病の最後の頃、病院の先生の勧めもあって、自宅で過ごすことになりました。
先生が安心してゆっくり過ごせるように、と、レッスン室にベッドを整え、シャワーを浴びせてあげたり、と、家族みんなでサポートしていかれました。
でも、数日間しか家で過ごせませんでした。
そして天国へ向かっていかれました。
息を引き取られる前、主治医の先生、そしてお子さんたちに一文字ずつ、時間をかけながら感謝の言葉を伝えていかれたそうです。
先生の生き様を聞かせてもらって、『強く生きる』、『生き抜く』、というのは、こういうことなんだ、と知りました。
自分に与えられた使命や責任がどんなに小さなものであっても、どんな状況の中にあっても全うする。
周囲の対応がどんなに悲しいものであっても、悲観することなく、不平、不満をこぼすのではなく、自分の信念を固く持ち、前に向かって進んでいく。
小さな喜びや感動を大切にする。
いつもどんな時も希望を持つ。
そして、明日を迎える用意をいつもしておく。
先生は最後まで一生懸命に生き抜きました。
そしていつも明日を見つめておられました。
私も先生の車椅子を押したかったな。
私も先生の動けなくなった足をさすってあげたり、動かしてあげたかったな。
でもきっと先生は「いいから、大丈夫だから。」と、断っていたかもしれないな。
私が日本に帰る度に、食べ放題のお店に連れていってくれて、「好きなだけ食べなさい。」と、食べさせてくれました。
そのときの先生の体調は良くなかったと思います。それでも、そんなそぶりを全く見せず、いつもの気丈な先生の姿を見せてくれていました。
先生の最大の愛情を受けていたんだなって、今、気づくことができました。
先生は病気になって、弱い立場から社会を眺めるようになって、社会の冷たさを感じられたかもしれません。でも、その一方で家族の絆と愛にいつも包まれていました。
レッスン室のテーブルに手帳が置いてありました。
奥さん:「この手帳にはね、ここへ訪ねてきてくださった方が寄せ書きを残してくださっているの。よかったらあなたも書いて!」
と、言われたので手帳を広げてみました。
手帳には教え子さんたちの感謝の言葉で埋め尽くされていました。
「先生に出会えてよかった」、「先生から学んだことは私の宝物です」、などの言葉がいっぱいでした。
先生はもうここにはいません。
でも、先生の信念や音楽はたくさんの人に愛され続け、そして受け継がれています。
奥さん:「あなたはアメリカの教会で奏楽をなさっているんでしょう? もしよかったら、この楽譜をもらってくださらないかしら。主人もね、学生時代、教会で奏楽をしていたの。ピアノでだけどね。」
と、たくさんの賛美歌アレンジのピアノ楽譜をくださいました。
どれもアメリカの楽譜でした。先生の年齢からすると、40年前の楽譜たちです。
奥さまから先生のお話を聞かせていただいたあと、私が先生と出会った経緯、そして初めてのレッスンの思い出をお伝えしました。
私:「とある町のピアノ教室の先生の紹介を受けてここにやってきました。出会ったころの先生は必要なこと以外はしゃべってくれず、笑顔も見せてくれず、そして怖い。これからこの先生とどうやって勉強していくんだろう?
って、不安でいっぱいでした。
初めてのレッスンの時、ドビュッシーの『月の光』を教わりました。
先生がこの曲をお手本で弾いてくれたとき、一瞬で別世界に移動しました。目の前のカーテンが一気に開けられて、広い広い海が見えたような気がしました。初めて、演奏を聴いて絵が見えたことを覚えています。
レッスンが終わったあと、先生の音を自分でも再現してみたい。
美しくて、不思議な音を忘れたくない!と急いで家に帰って、教会に行ってピアノを弾かせてもらいました。
このとき、「どんなに怖くても、怒られても、この先生のもとで学んでいきたい。」って、思ったんです。」
と、奥さんに伝えると、奥さんがボロボロと涙をこぼされました。
奥さん:「ありがとう。今のあなたの言葉を主人もここで聞いていると思う。とっても喜んでいると思う。泣いて喜んでいると思う。」
と、泣きながら言われました。
そうなのかな。先生は私の話を聞いて喜んでくれているのかな。
もしそうなのであれば、私も先生の音の継承者の一員になれているかな?
そうこうしていると、先生のお子さん家族たちが家に帰ってこられました。
先生のお子さんたちは成人され、家庭を持っていらっしゃいます。
私:「先生はみなさんにもピアノをやってほしい、って言われましたか?」
お子さんたち:「ううん、全く。「こんなハードなことをしなくていい。自分がやりたいことを見つけて、それを突き詰めていきなさい。音楽は好きでないと続けられないから。」と、言ってた。だから私たちはピアノなんて、全然弾けないです!」
とのことです(^o^;)
練習の苦しさ、音楽で食べていくことの大変さ、を誰よりも分かっておられるからこそ、お子さんたちには「やりたいことを見つけて、それに向かって進んでいきなさい。」と、言われたんですね。
そして最後にお子さんたちがこう言われました。
お子さんたち:「お父さんの子でほんとに良かった。」
先生、とっても幸せだな、って思いました。
これ以上の言葉ってないと思います。
私もです。先生の生徒になれて本当によかった。
先生からピアノや生き方を学べて本当によかった(^-^)
気がつけば夕方になっていました。
せっかく先生のご家族全員とお会いすることができたので、先生の写真を真ん中にして、みんなで集合写真を撮りました。
撮った写真を見ると、みんな満面の笑顔です。
姿は見えなかったけど、先生も笑いながら写真に写っていたと思います(^^ゞ
私は先生にとって期待される生徒ではありませんでした。
先生が自宅で教える生徒さんは、ピアニストを目指す、素質のある方たちばかりです。
でも、こんな私の「学びたい」という気持ちを大切にしてくださり、どんな曲でも丁寧に教えてくださいました。
そしてどんなに忙しくても毎月、教えてくださいました。
だから先生には感謝でいっぱいだし、先生の音をまた聴きたい。
でも、もう先生には会えません。知らせを聞いたとき、私の大切なものがぽっかりと抜き取られたような気持ちになり、ワンワン泣いてばかりいました。
でも、先生は私に新しい出会いをくださいました。
先生の宝物である、先生の家族と出会わせてくれました。
これからも、先生はご家族を通して私にも会ってくださるんだな。
ちゃんと先生は前のように、どんなに忙しくても、どんな状況にいても私との時間を作ってくださっているんだな。
って、思いました。
マイケル先生もピアノの先生のような方です。
もしかしたら、マイケル先生との出会いもピアノの先生が導いてくださったのかな?
そうだとしたら、オルガンの学びも喜びいっぱいになっていくかなo(^-^)o
先生、ありがとう。
先生のように希望と信仰を持ち続けながら生きていきたいと思います。
先生の生徒になれて本当によかった(*^ー^*)
