いつもお読みくださりありがとうございます。
以前のご質問でいただきましたのが、「プラスアルファなしで、サピックスのαにいつづけるような子には特徴がありますか?」という質問でした。
一言で言えば、「特徴は、あります」が、詳細を書くと当たり前すぎて大して面白い話ではありません。つまらなかったらごめんなさい。🙇
なぜつまらなくなるかというと、子どもの特性だけの問題ではないからです。だってお金を払うのは保護者ですから。。。。
1.わが子の目標をどこに置いているのか
2.どこまで課金できるのか
3.子どもの地頭
答えはこれの組み合わせのパターンです。面白くなくてごめんなさい。
一番簡単な、プラスアルファの課金必要なし!で御三家!のパターンは
ただただ、「子どもの地頭がとてもいい」これに尽きます。地頭論は書いてくださっている方がいて私もかなり共感しているのですが、環境での影響はゼロではありませんが、それでも限界値を決めているのは地頭(持って生まれた知能)が大半なのではないかと思うことがたくさんあります。
もちろん、東大出身の親の子でもあまり成績が良くないことなどはありますが、遺伝の発現はどうでるかわからないのですから、確率の問題という意味です。
何をどうやっても追いつけないような天才的な知能を持っている子はいますし、そこまでいかなくても「努力する才能」を持って生まれている子がいます。彼らは勉強することが楽しいし、たとえ苦しいこと(毎週の試験とか、遊べないとか)があっても自制して乗り越える精神力を持っています。
こういう子が中学受験では強く、自分で自分の課題を見つけてコツコツ努力できるので、伸び続けます。いわゆる「秀才」というくくりでしょうか。
この、天才と秀才には大手塾のみで充分です。
秀才の特徴として(天才は次元が違うので置いときます。)、「人の話(先生の話)を受け止められる。言われたことを自分ごととして考えられる」という特徴があります。これは小1ですでにわかります。先生が、誰に対して何のために話しているか理解できるので、同じ授業でも注意でも吸収力が全然違うため必然的に賢くなっていきます。
その具体的に見える行動例としては、「ノートが取れる」ということがいえます。ノートが自然に取れている子は、賢いです。何を書いて、何を書かないか、または先生の言ったことを聞いて書くスピードと、書ける手ができている。
幼児期から低学年のときに筆圧が低い子で、賢い子は見たことがありません。(言い切ってごめんなさい。私の見た範囲です。)また字が綺麗に書けるということは、見たものを写すことが出来るということなので、賢い可能性が高い。ちなみに、天才の域に行くと字は汚いです。あくまで「秀才」の話。
次にペラペラと自分の知っていることだけを喋る子は多いのですが、それとは違います。相手の話を聞いて、考えている子、対話が出来る子、こういう子は低学年から「なんか一味違う」とこちらに思わせますし、実際に国語の成績がすごくいいことが多いです。低学年でも安定したテスト結果を出します。
算数だけを低学年に特訓してやらせてきたりした子が、低学年のときだけ成績がいいことがありますが、国語が全然できない子は伸びて行きません。そういう子の成績は仮の成績であり、いわゆるネット上でも言われている「ただ、算数の先取りを覚えこんでいただけ」ということです。その見極めは国語に出ます。
本当に優秀なお子さんは、低学年からずっと最上位に居続けて、落ちてきません。
基準でいえば、どんなに不調でもどの塾の何のテストでも、平均点を切るようなことは絶対にないといえばいいでしょうか。平均点プラス10点は切らない、という感じかな。いつも平均点プラス10あれば、ということではなくて、普段は上位1割以内、なんならトップ層にいるけれど、たまにうまくいかなかったというときでも平均点プラス10という意味です。
以上が、「地頭がいいパターン」ですね。これはもう、仕方ない。どうしようもないです。
課金なしで特に親の管理もほぼ必要なくサピックスのαにいる子は、この地頭がいい、これに尽きてしまうと思っています。精神年齢が高いんです、そういう子は。だから中受向き。身も蓋もなくて本当にごめんなさい。あくまで私の個人的見解ですので気に入らない方もいると思います。。
ただですね、これくらい優秀でも親が心配して個別や家庭教師をつけていることもあります。これくらい優秀なら必要ないんですけどね。親心でしょう。
そもそも、プラスアルファを何と定義するかという問題も大きいのですが。
いわゆる家庭教師、個別指導、だけがプラスアルファではありません。
親の関わり方、兄姉がいる、低学年のときにフォトンなどで先取りしている、これらを経ている子といない子を比べるのも平等ではないというか、難しいです。
課金はしていないけど、うちのように親がバリバリに管理し、教えているという家庭もあるでしょうし、4年以降は自走出来る子だったけれど、低学年はずっとフォトンに通っていました、とか。
そういえば以前、私がこの話をしていたときに「いや、うちは一切何もやらせてない、サピだけ!家庭教師も個別もつけてないから!」というアルファベット上位からα下位を行き来している家庭があったのですが、小1から小6最後までフォトンは併用して通っていました(笑)。その保護者にとってはフォトンは「家庭教師と個別」ではないので「課金」や「プラスアルファ」に入らないのでしょう。真剣な顔でおっしゃっていたので、本気でそう考えていたと思います。
ね?難しいと思いませんか?何を課金、プラスアルファとするのか。。。。
フォトンは課金ではない、としたらもう何が何だか。。。。
最近の大手塾の算数はどんどんレベルが上がっているので(無駄に難しいことが多い)、低学年のときに何も(この何も、の定義も難しい)していなくて新4年から入塾して上位に入ることはかなり難しいです。この場合の「何も」は公文なし、Z会なし、学研教室などもなし、そろばんなし、親塾なし、で「学校の授業だけ」、とします。
小3まで学校の授業だけの子が、新4年から塾に入って即上位はほぼ無理ゲーなのです
ですので、そんなお子さんをもしお持ちなら、「うちの子天才かも」と思っていいと思います。そういうお子さんが先取り組に追いつくのは大変ですが、追いつけた場合は一気に抜き去って最上位へ抜けられると思います。素質があるということですね。
怖いことを書くようですが、昔は「先取り」は字の通り先を走るためにするものでしたが、中受の大手塾の低年齢化が始まり、また公文やそろばんで計算を鍛えておくという「備え」もだいぶ浸透してきたので、それらは「先取り」というよりも「最低限置いていかれないための土台」と化してきていると感じます。
別に煽っているわけではないのですが、個別などで見ていると計算力があるかないか、が本当に大事だと痛感するので。塾でちょろっと習ったくらいの小数計算、分数計算の演習では足りないんですよね。
で、ここまで書いてから話がスタートに戻りますが、
ここまでは子どもの能力、地頭の問題。
それに対して、保護者がいったいどこをゴールとしているか、によってプラスアルファの課金をするのかしないのかは変わってくる、ということです。
先に書いた「秀才」(天才の話はもうしません。ほぼいないので。)にお子さんが当てはまっていたらそれはすごいことで、大抵はそこまでではない子です。
そこまでじゃないから、「課金」問題が生まれるんですよね。
つまり問題は、子どもの持って生まれた能力と、親の(ほぼ親の)目標校に乖離があることです。乖離があるので、課金していく羽目になるわけです。。。二月の勝者にもそのあたりの話ありましたよね。子どもの偏差値が「足りない」と慌てる親。「足りない」と思うからこそ、なんとかしたいと思うわけです。
この話のつづきはまた次回書きたいと思います。
お読みくださりありがとうございました。