母 | 手打ちうどん 咲楽のブログ

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先日、来て頂いたお客様のお父様が亡くなられたという報告を受けました。


一度食べに来ていただいて、元気な姿を御見受けしていただけに、驚きとショックです。


何か書こうと思ったんだけど、うまく書けないので自分の親について書こうかと!


私の、両親はもう亡くなっています。


母は、51、父は、61で亡くなっています。


母は、私が27の時に、突然!


26で上京し、27で今のかみさんと籍を入れ、長男を身ごもり、母に報告


かみさんと、いっしょに住み始めてはじめての給料日に、外食しようかと食べて、家に戻ったら


白い一台の車から、樋口さんですか?と問われ、はいと答えると、電報です!


(まだ、住み始めて間もなかったので、電話が引けてなかったんです。)


開けてみると、『母死す、すぐ連絡せよ』との文面!


携帯も無い時代、公衆電話から弟に連絡、状況を把握している間に


その時世話になっていた会社の社長が、来てくれて、


次の日の飛行機取ったから、朝一番で帰れ!と言われるがまま


かみさんの実家に泊まり、次の日の朝一番の飛行機で高松空港へ。


母の亡骸に対面し、絶句しました。


弟が朝起きて、母が布団から出ないので、調子でも悪いのかと、そのまま仕事に出かけ


帰ってきたら冷たくなっていたらしいのです。


救急車を呼び、隣の息子さんに心臓マッサージを施してもらったらしいのですが


時すでに遅し!


弟も、姉も取り乱し、そんな中でも、やる事はやらなあかん。


父は、船舶通信士、遠い海の上、このままだと、帰ってきたときには骨になってる。


母が生前、私が死んだら献体に出せ。と言ってたのを思い出し香川医大に連絡するも


生きてるうちに、会員になっていない人の遺体は受け取れないとの事。


どうしようかと思っていたのですが、お隣のご家族が、医大と密な関係にあり事情を説明し


なんとか、献体を受け入れてくれることにないました。


父には、電報で知らせるもすぐには連絡なし、それでも、葬儀は近所の人たちのおかげで


とりおこなう事ができました。


葬儀が終わり、親戚と宴席を設けてる時に、父から船舶電話で連絡があり、事情を説明して


じゃ、俺は航海を終わらせて、2ヵ月後に帰るとのこと。


そんなドタバタで母は、逝ってしまいました。


急に逝ってしまった家族は、何かいつまでも生きているような気がしてしまいます。


母と父が出会ったのも、母が定食屋で働いていたときの常連だったらしいです。


そんな私が今うどん屋をやっているのも、血筋ですかね。


母が生きていたなら、今頃掃除なんかで手伝ってくれて、お客さんとペチャクチャうるさいぐらいかも


と、思う時があります。


船乗りの父と過ごした時間よりも、私と過ごした時間のほうがひょっとすると長かったかもしれない母。


私が結婚を決めた瞬間逝ってしまった母。


私を育てるためだけに人生があったような気がします。


息子に、編んでくれたケープと編みかけのケープが残っていて、これからほんとの意味での親孝行を


しなければならなかった私も、母が逝かなかったら分からなかったかもしれない。


それを、逝くことで私に教えてくれたんだと、今はそう思っています。


人が、逝くことで、生かされいる人は、気づくのかも!!!


なぜ生かされているのか、なぜこの世に生を享けたのか、私は、一生懸命と言う言葉は


難しいと思っています、怠惰な自分や、逃げ出したい自分は必ずどこかに出てきます、


それを分かった上で、一所懸命に生きようと心に決めています。


一所懸命とは、一つの事に懸命になること、それが、うどんであってしかり!!!


がんばります!


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