冨永さくら次回出演作品✨



おまちしてます☺️








古典戯曲。

そう聞くだけで、

難しそうだなァと思っていた頃の自分に

今声をかけるとしたら、

「難しい。けどそこがいいのよ」

と言いたい。




今でこそ、

気になったら自ら進んで読むし、

わからないところも

「なんでこんなセリフをここで突然…」

と、一旦本を閉じて

思考を巡らせる楽しさもわかってきたが、

20代前半のころなんて

まず「わからない」ということが

しんどくてたまらなかった。




そんなとき、

とある方が主催する古典戯曲の勉強会で、

マクベスを扱うことになった。




私が初めてシェイクスピアを読んだのは、

このときである。



マクベス 2幕3場には

門番の長いセリフがある。



私にはもうこれが意味不明だった。

シェイクスピアの独特な台詞回しにも

イマイチ馴染めない。




あー、古典戯曲を読んでますなんて、

カッコつけたことを言おうと思ってたけど、

そんなことはやめろと言われているようだなァ。



なんて、どうでもいいことを考えていた私に

勉強会にいた方が、

「ここの門番のセリフは、

聖書の引用なんですよ。」

と教えてくれた。





聖書の引用?

私は今まで、

文学でも、現代小説でも、なんでも、

その物語のおもしろさしか見ていなかった。



主人公がどうなるのか。

恋の行方。

事件の解決。



そういう物語の中だけで完結するものにしか

注目していなかったのだ。



でも、本を読むおもしろさはそれだけじゃ無い。


なぜ引用されているのか、

それはどう言う意図があるのか、

またなぜその引用が選ばれているのか、

どういう人に読まれると想定して書かれているのか、





などなど、

本を読むという行為は、

なんと奥深いものなんだろう。


聖書の内容は

日本では馴染みがないけど、

シェイクスピアと

それを観劇する人々にとっては、

より芯を共有するために

必要なものだったんだろうと思うと、


とたんにわからないことも

面白いと思えるようになった。



私が知っている概念や常識だけが、

世界の全てではないことを

まざまざと突きつけられてる感。


そして、

まだまだおもしろい、

知らないことが、

果てしなく世界にはあるぞ感。



そのおもしろさを、

私は勉強会で出会った方に教えてもらった。




昨今、

難しいものを簡単に、

という文化がある。


それに対して哲学者の千葉昌也氏が

「現代思想入門」で

『複雑なことを単純化しない』ことの

大切さをお話しされていて、

うおおっとなる。



単純化してしまったら

伝わらなくなってしまうこともある。

マクベスの物語をここで

単純な説明することは簡単かもしれないが、

マクベスは多分、

それじゃ伝えられないのだ。



舞台のあらすじを口頭で伝えることはできても、

あの俳優の間は

あの瞬間の客席の張り詰めた空気は

あの割れんばかりの拍手の音は

とうてい伝えることはできない。



だから劇場に行かなきゃと思うわけで。



そしてそのためには

自分の読解力も上がった方が、

必ず楽しい。



カメラがどんどん高解像になっていくように、

私の読解力の精度も上げていきたい。



様々なコンテンツが、

消費者目線で作られる世の中だけど、

制作者に私たちが目線を合わせるのも、

案外楽しいものだと、

私は密かに思っている。


それは私の知らない世界を

教えてくれる

貴重な友人になってくれそうだからである。