被災地で続出する「亡くなったはずの家族との“再会”」

死んだ母が枕元にいた

――東日本大震災の被災地では、亡くなったはずの家族や親友と“再会”したと語る人があとを絶たないという。そうした被災者の声に耳を傾け、実際の体験談をもとにつくり上げたのがNHKスペシャル「亡き人との“再会”」だ。「死」という普遍的な問題を真正面から問い、死者との対話によって再び動き出した人を追う画期的なドキュメンタリーは大きな反響を呼んだ。震災当日から現地で取材を重ねてきたNHK報道局の佐野広記ディレクターが番組の知られざる全貌を語る。

2011年3月11日、がれきの中で多くの人たちが、呆然と、ただたださまよっていました。異界を覗いてしまったような、ざらざらとして、息の詰まる、あの日の空気感。今も忘れることができません。その日から現在に至るまで、東北各地に通い、地元の方たちと交流を続けてきました。気がかりだったのは、時間が経つごとに「ようやく被災者は前を向き始めた」といった、わかりやすいレッテルを貼った報道が増えてきたこと。自分が知る被災者の方々は、そんな単純な感情の中にはいないし、状況は一人一人でかなり違う。むしろ世間のわかりやすい決めつけに、辛い思いをされている人も多い。どういう報道をすべきなのか、自分なりの答えを探してきました。

震災から半年が経過した9月の早朝のことです。番組の編集作業で徹夜明けだった僕に、石巻赤十字病院で知り合った女性から一本の電話がありました。その方は、義理の母と一緒に津波にのまれ、ご自身だけ助かった体験をされています。濁流にのまれる中で、掴んでいた手が離れてしまい、苦しみながら亡くなっていく姿をただ見るしかできなかったそうです。「もっとちゃんと手を握っていたら」「なんで私だけが助かったんだろう」。自分を責め続け、精神的に辛い毎日を送っていました。

その女性が、電話口ではとても嬉しそうな声で「明け方に、おばあちゃんが枕元に出てきてくれたのよ! 紫色の立派な着物を着てすごくニコニコしていて。『もう好きなように生きていいのよ。あなたの人生を歩みなさい』と伝えてくれたの」と言うのです。「最期の辛い顔しか思い浮かばなかったけど、笑顔も思い出せるようになった」と。

この話を聞いたときは「そんなこともあるのかな」くらいの気持ちだったのですが、他の方々からも「亡き父が目の前に現れた」「声が聞こえた」「亡き子どものおもちゃがひとりでに動いた」という話を伺うようになり、心にひっかかっていきました。

目に見える事実はたくさん報道されていましたが、目に見えない事実もきちんと報道すべきではないか。「亡くなった人と“再会”した」という話は、被災者の心情を伝える一つの切り口になるのでは、と番組を提案しました。

ただ難しかったのは、NHKがほとんど扱ったことがないタイプの番組だったこと。大切な人との“再会”体験は、目に見えなければ、カメラで記録することもできません。裏をとることは難しい。当初は、「喪失体験に伴う心理現象」「深い悲しみが幻覚を見せている」といった科学的な説明も調べてはいたのですが、取材の結果、番組では控えることにしました。大切なことは、体験が科学的に説明できるかではなく、「体験をした人が大勢いる」という重い事実を伝えること。死者を身近に感じた人たちのかけがえのない体験が膨大に存在するのです。それは極めて個人的な物語であり最大限尊重されるべきだと思うに至ったからです。

ありのままのすべてを見せる

“再会”を果たした人は、自分たちの体験を「幽霊」や「幻覚」というわかりやすい言葉で表現されたくないとおっしゃいました。「幽霊」と言うと、恐ろしいものというニュアンスを含んでしまうし、「幻覚」と言うと存在そのものを否定してしまう。彼らからしたら、出会ったのは家族そのものなのです。番組では「可哀想な人たちに辛い体験を語ってもらう」というわかりやすい同情で終わらないようにしなければならないと考えました。そこで、どれほどの悩み、苦しみを経て“再会”があり、今どう思っているのか、わかりにくくてもいいから、被災者の気持ちを、ご本人の口からありのままに語ってもらう構成を目指しました。何か結論が出るわけではありませんが、むしろそれでいいのではないか。最終的に、被災者4人がそれぞれのかけがえのない体験を語る、証言ドキュメントのような番組になりました。

放送後、被災地からは「よく放送してくれた」「私たちの気持ちをそのまま出してくれてありがとう」という肯定的な声を数多くいただきました。実はこうした体験をしていても、他人の目を気にして口に出せない人も少なくありません。体験者の肉声が放送されることで「自分だけではなかった」「人に話しやすくなった」という安心感が得られたようなのです。

一方で、特異なものとして視聴者に映ることをとても心配していました。しかし寄せられた反響の中に、オカルトやスピリチュアルの類いだという否定的な意見は、意外なほど少なかったです。反対に「このテーマに最初は驚いたが、自分の大切な亡き人を思いながら共感した」「私にも体験がある」などという意見を多数いただきました。

大切な人の死や、その人を思い続ける気持ちは普遍的なものです。被災地だけでない多くの人に反響をいただけたのは、人間の持っている複雑で繊細な心の奥底に、番組が訴えかけることができたからかもしれません。

忘れてはいけないのは“再会”を果たした体験が「気持ちが楽になった」「癒やされた」と一概に言えるものではないということです。 “再会”したことで余計に苦しみが増したという人や、なぜ自分は“再会”できないのだろうかと苦しむ人にもお会いしてきました。それに“再会”が転機になったという被災者の人たちも、一歩前に進む日もあれば後ろに戻る日もあります。でもきっと、それが当然のことなのだと思います。ありのままを受け止めることが、大切なことかなと思っています。

NHKは、現在も月に1度、NHKスペシャルで被災地の現状を伝えています。被災者の方々とのお付き合いの中から、少しずつ心情を話してもらえるようになってきています。僕も震災直後に吸ったあの空気感を反芻(はんすう)しながら、今後も工夫して番組制作を続けていきたいと思います。



故人(愛する人)との再会は、誰でも望んでいることだと思います。
今何をしてますか?
辛くないですか?
苦しくないですか?
寂しくないですか?
残された私達に何を伝えたいですか?
故人がお元気だった頃の思い出が蘇りますよね。
そして現実を知り悲しみが募ります。
何処かで区切りをつけて、前へ進まないといけないと分かっているが・・・難しい。
精神が病んでしまうお方様もおられる。
「生きる」意味を考えれる時間を与えて頂いたと思えばいい。
今日生きてることは、奇跡。
今日も生かされたってこと。
自分らしく生きればいい。
背伸びする必要も無い。
心の休息も必要ですよ。

私事ですが、介護をしていた父が亡くなりました。
霊能者ですのでお別れが近いと察し覚悟をしておりましたが、実際にその日が訪れると普通の娘に戻ってしまい狼狽えました。
その後、心が空っぽになってしまい気力を失いました。
父からのメッセージを受け取るのですが、自分を責める日々が続きました。
このような状態で霊視鑑定をお受けすることは出来ない。
ブログの更新も難しくなりました。
苦しい日々を過ごす中、もう一度元気だった自分を取り戻そうと思いました。
時間を好きに過ごすって贅沢。
贅沢をしたことが無いから戸惑いました。
今迄TVを見る暇が無かったから、結構見た。
オバサンがキスマイ・三代目J Soul Brothersとか好んで見ちゃった。
ドラマ見て感動したり・・・。
少しづつ自分の生きる意味を考えました。
私の笑顔が父への恩返しだと思っております。
これからも笑顔で過ごしたいし、ブログのタイトルのように・・・。
笑顔の花を咲かせたいと思っております。

有り難いことに、休止中だった霊視鑑定のご依頼を度々頂いております。
しかし、お受けすることが出来ずにおりました。
大変申し訳ございませんでした。
5月1日より、私のお役目(霊視鑑定)を再開させて頂きたいと思っております。
どうぞ今後とも宜しくお願い申し上げます。

嵩木さくら