NEWS ポストセブン 10月17日(木)16時6分配信
今やお茶の間に人気者となったマツコ・デラックス(40才)だが、一時期引きこもりをしていたことがある。
それはゲイ雑誌『バディ』(テラ出版)の編集者を辞めた後、20代後半のころ。実家へ戻ったマツコは約2年間の引きこもり生活を始める。『バディ』時代の同期で、おネエ系映画ライターのよしひろまさみちさんはこう話す。
「心配してた何人かが連絡を取っていたみたい。あたしも何度か“生きてるの?”ってメールしたけど、“ダメ”とか返ってきたことも」
引きこもり生活中、マツコは、自分より不幸な人を見つけて救われたい、と思い、数年ぶりに高校の同級生に連絡をとった。「今、何してるの?」「どこの会社で働いてるの?」「結婚してるの?」──それぞれの個人情報を聞き出しては、部屋でひとり、年収や既婚といった要素から“幸せランキング”を作っていった。
最終的には60人以上のリストが完成。そのランキングの最下位にいたのは、他ならない自分だった。
引きこもりは本格化した。雨戸は閉めっぱなし、部屋にはCoccoの歌が大音量でかかっていた。
<人は強いものよ そして儚いもの>(『強く儚い者たち』より)
マツコは彼女の歌に救われて、ギリギリの精神状態をなんとか保っていた。トイレ以外の時間はすべてベッドで過ごした。ある日、両足で立ちあがろうとしたら、10分間もかかった。
そんなマツコを救い出したのは、死の淵から生還し、今なお闘病生活を続ける作家・中村うさぎさん(55才)だ。
うさぎさんは、マツコの存在をゲイ雑誌で知り、引きこもり中のマツコに会いたいとアプローチ。対面を果たしたわずか3日後、2001年に発売された自身の対談集『人生張ってます』(小学館刊)の相手に、当時はまだ無名のマツコを抜擢した。うさぎさんは、マツコを「魂の双子」と呼んでいる。
<デブとか、ゲイとか、数々の負の要素を抱えて、葛藤を続けていたはずで、その業の深さが私と通じていたんです>(『AERA』2009年8月31日号)
対談では、2年間の引きこもりでうっ積したストレスを吐き出すように喋り続けた。東名でオービスにスピード違反を撮られ、名古屋の警察まで罰金免除を直談判した話、太りすぎて和式トイレで用を足せない話…と、マツコ節を全開した。
1人の有名作家に認められたこと以上に、自分を理解してくれる人がようやく現れたことの幸せをその大きな体で感じていたのかもしれない。このうさぎさんとの出会いをきっかけに、マツコは再び社会に身を投じる。うさぎさんに「アンタは書くべき人間だ」と言われ、コラムニストとして文章も書き始めた。
※女性セブン2013年10月24・31日号
私、マツコ・デラックスさん大好きなの。
物事をはっきり言うけど、その中に愛がある。
お優しいお方様。
現在ご活躍のマツコさんから引きこもり時代があったなんて想像出来ますか?
若い時期って今思えば何でも無い事なのに悩んだりするのよね。
人様に自分はどう思われているのとか、自分はダメな人間なんだとか、人と比べて卑下したり自分を見失うのよ!
そして人様のことが怖くなる。
面倒になる。
外出が減る。
引きこもり生活が始まる。
親と同居なら衣・食・住は心配無い。
好きな時に起床。
眠くなったら寝る。
昼夜逆転。
乞食も3日やったら止められないって言うけど、引きこもりも同じ。
世間を遮断する。
そんな生活が楽って言えば楽よ!
逃げてるって言われれば逃げてるわよね!
私思うんだけど・・・。
結局ご自分の首を絞めてるのは、ご自分なのよ。
それが気づけない。
どっかで折り合いをつけなければいけない。
こんな人(ご自分の理想)にならないといけないって誰が決めたの?
その基準って何?
完璧な人間なんていないのよ!
変なプライドなんて捨てなさいよ!
分からない事があれば聞く。
出来ないなら出来ないって言えばいいじゃない。
それで笑われたり、陰口を言われたりしたって間違った事してないって自信を持ちなさいよ!
そんな連中に認めてもらおうなんて無理。
人の傷みが分からない連中なのよ。
要するに人生を学べない救いようの無い可哀想な人達なのよ!
そんな連中に振り回されるのは、幼い証拠。
そっちの方が恥ずかしいことなのよ!
本質をしっかり見ないとダメよ!
時に立ち止まることもある。
人は、弱いのよ。
でも世間を憎んだり、自分に絶望したり、親に甘えてばかりいたって解決出来ない。
人生っていかに開き直るかじゃないの?
悪い意味での開き直りじゃ無いのよ。
現在の自分で勝負するしか無いのよ!
それ以上もそれ以下も無い。
現在のご自分を認めるのよ!
人生プラスマイナスゼロでいいじゃない。
また後程。
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