こんにちは

sakuraの長男です。
(初めてブログを書くので、拙い文章で申し訳ありませんm(_ _)m)

8月は買っていったピザや、僕の作ったなんちゃってスイーツ(笑)を食べてくれたり、看護師さんに付き添っていただいて歩ったりしていました。だいたい毎日御見舞に行っていたので、色々な事を話しました。こういった状況にならないと、親子で長話することはそうないんだなと感じました。幸い食べものに制限は無かったので、毎日色々なものを食べていました。「次はアレが食べたい、コレが食べたい」とリクエストが尽きませんでした(笑)

しかし、9月になるとだんだんと味覚がおかしくなったり、腹水が溜まったりしてなかなか食べることが難しいようで、ゼリーや杏仁豆腐、ぶどうなどを食べられるときに少しずつ食べていました。少しずつ歩けるようになっていたのに、やはり量が食べられないため力も出ず、基本寝たきりの状態に戻ってしまいました。せめて外の空気だけでも一緒に吸いに行きたかったな、、、
こうして食べられるものが限られても、美味しいと感じるものを追求することを辞めることはありませんでした。違う味のゼリーやフルーツを買って行って、お気に入りを見つけていました。1日にみかんを2回買いに行ったこともありました(笑)でもこれは自分が最後にできる親孝行。とても楽しい日々でした。
痛み緩和のためのお薬も始まり、ぼーっとしている時間が増えましたが、少し体調の良い日はたくさん二人で話しました。一昨日は家族4人で団らんもできました。久しぶりに家族全員が揃って良かったです。

昨日はまた父と弟と自分の三人で御見舞に行きましたが、午前中から体調が悪く、緩和のためのお薬の量も増え、最後の力を振り絞ってるのが伝わりました。そして、母親は昨晩息を引き取りました。
本当に立派な最期でした。自分の余命が残されていないことをわかっていながらも、辛くても弱音を一切吐くことなく、日々前向きに生きた母親は本当にすごいと思います。 

まだ少ししか実感が湧きませんが、お通夜、お葬式できちんとお別れして来ます。

ブログを書いているのは知ってましたが、闘病用のブログがあるのは今日知りました。(勝手に見て、更に書き込んで怒られないか心配だけど、スマホのパスワードを教えてくれたくらいだし大丈夫よね??)

みなさん今まで温かい応援、コメントありがとうございました。母も皆さんの幸せを願っていると思います。




お母さん
5年間本当にお疲れ様でした。
そして本当にありがとう。
僕達は大丈夫だから安心してください。
大好きです。

                    長男



少し間が空きましたが元気です。

スマホに規制が掛かり、皆さんのブログチェックも暫く出来ずにおりました。

ポケットWiFiにしたので、またブログか書けます。
一安心。



今回は私の緩和病棟での一日を。



毎朝、5時くらいには目覚めます。

そして
今日も穏やかな朝を迎えられたことに感謝し、
「世界中の人々が苦しまずに穏やかなら過ごせますように」
「私の大切な人達が、健やかに過ごせますように」
と、心の中で祈ります。



部屋の窓からの眺め。
個室なので静かです。

昨夜とその前の晩は随分と涼しくなり
窓を開けて寝て丁度よかった。


歩行器で歩けるようになってからは
毎朝付き添って貰ってトイレへ行き、洗面台の前に座って洗面。
髪はぽよぽよしかないので、頭まで洗っちゃいますウインク
歯磨きもしてサッパリ!


7時30分頃朝ごはん。


午前中は着替えや身体を綺麗に拭いて貰ったり
マッサージの先生に足のマッサージと、軽い筋トレを。

毎日の着替え時には、膿の出でいる患部をよく洗ってケアして貰えるのてとても有難いです。
お下の方も丁寧に洗ってくれます。


お昼ご飯は11時30分くらい。

午後は少しゆっくりしてから
歩行器での病棟内散歩に。
まだ数十メートルですが、毎日欠かさず続けています。
部屋に戻ると、付き添ってくれた看護師さんと内緒のおやつタイムジンジャーブレッドマン

差し入れて貰った甘酒や、クッキー、チョコレート等
日替りで一緒にお付き合い頂いてます♪


16時から面会時間開始。
今のところ、毎日誰かしか来てくれていまして
昨日は友達が桃のパンナコッタと桃のパフェを持って来てくれて、一緒に食べました(^^)


でも、夕ご飯が17時30分なので少しだけ。

残りは夕飯後、暫くしてから食べましたニコ

コロナ前は一般病棟の面会は13時から
緩和はフリーで、いつでも面会出来たのに
今は緩和も厳しくなって16時〜20時に。

もっと早ければ一緒にオヤツやお昼ご飯を食べられるのにな。


消灯は一応22時。
日によって早く寝てしまうこともあるけど
夕ご飯から寝るまでの時間が長い!
テレビも付いているけど、ベッドから動くことが出来ないから、(リモコンあるけど)
収納棚に備え付けだから、もう自分ではどうすることも出来ない。
カード入れないと映らないし、カードを取ることも出来ない。
まぁ、ここに来た頃はテレビなんて見る気力なかったし、やっと「暇だな…」と感じる
精神的にも体力的にも余裕が出来てきたみたい。

なのでひたすら読書。

手の痺れがあるので重い本は持てない。
文庫本を友達から借りて読んでますニコニコ



コロナ前は、ボランティアさんが日替りで色んな事をしてくれていたみたいだけどずっと中止されたまま。

月、火、木、金のマッサージと軽い筋トレ。

木曜日は音楽療法士さんの音楽療法があり
色々なお話をしたりキーボードで弾き語りをしてくれます。


今のところ強い痛み等は無いので、とても穏やかに日々が過ぎて行きます。
有難い事です。

このまま痛みなく…と言うのが一番の願いです。










私には今、心の友と呼べる親友が2人います。

2人とも次男の幼稚園時代からのママ友。
10年以上のお付き合いです。

幼稚園時代はもっと複数で幼稚園の活動をしたり、ランチをしたりしていましたが
結局、この3人に落ち着いて
3人であちこち出掛けたり、ランチやディナーに行ったり、夜中までメッセージを送り合ったり。

私の病気が分かった時も
直ぐに2人だけに打ち明け、3人集まってこれからのことを話し合ったり…。

この歳になって、こんなに信頼出来る友ができるなんてとてもラッキーだと思っています。

2018年に2度の入院と、緩和施設へ入居した時も
海外出張でいなかった夫の代わりに
あれこれ助けになってくれました。


そんな3人の関係が崩れてしまった。

私が緩和施設に入居した時。

親友の1人、A子ちゃんは
私の着替えの洗濯を買って出でくれて
まめに顔を出しては細々とした事をしてくれました。
体調が良くなって来てからは、外出に付き添って買い物や外食等も一緒にしてくれて。

一方、もう1人の親友M'rinは 
緩和施設からちょっと遠いし、運転があまり得意では無いのが心配で
A子ちゃんに比べるとお願いする事が少なかった。

でも、お買い物をして貰ったり
食べたいランチボックスを買ってきて貰って一緒に食べたりと、M'rinの事も頼りにしていました。


でも、私が考えている以上に2人の温度差は違っていました。

A子ちゃんが私に良かれと思って色々してくれればしてくれる程、M'rinは疎外感みたいな物を感じていたんですよね。


緩和施設からの退去を機に、A子ちゃんとM'rinの仲が壊れてしまいました。

なんとか2人の関係を修復したいとA子ちゃんに連絡するも
いつも忙しい彼女とはなかなか直接会えず
M'rinの心も頑なに閉ざされていて
修復出来ないまま私の最後の入院のなってしまいました。

M'rinとはカフェ巡りが共通の趣味で、具合が悪くなるまでは一緒に出かける事が多く
それまで通り仲良くしていました。

入院してからも私の好きなカフェのスイーツやコーヒー屋さんのコーヒーをテイクアウトしてくれたり、
まめに通ってくれています。

入院してすぐ、A子ちゃんは顔を見に来てくれましたが
その後は子供達が熱を出してしまい暫く来られず…


私は死ぬ前に2人の関係を修復しないと
死んでも死に切れない!
と強く思っていたので、
病室で3人で会って仲直りさせる!
と言うミッションを昨日決行しました‼︎


2人とも私の気持ちをよく分かってくれました。

完全にわだかまりが解けたかどうか
本当のところは分かりませんが
気持ちを伝えられて良かった。

葬儀には2人一緒に来て欲しい。
そして命日にも一緒にお墓に来て欲しい。

2人に出会えて本当に良かった。

2人の関係をこれからも見守っているからね。
仲良くしてね!

私には息子が2人います。

長男は20歳

次男は14歳


今回は長男について書きたいと思います。


私の病気が分かったのは長男が中3の1月。
ちょうど高校受験の年。

既にステージ4だった私は
この子が成人するまで生きていられるだろうかと…。

大事な受験を控えていたのに
ちゃんとしたサポートが出来たかどうか
きっと出来ていなかったな。


受験が終わり病気の事を長男だけに打ち明けました。
ステージの事とか詳しい事は伏せて
「治療していけば大丈夫だから」と。
(でも彼なりに色々調べたらしいです)


彼が高校生になってから暫くはホルモン療法や民間療法で体調は安定し、毎日お弁当を作ってあげられていました。

しかし、またも今度は大学受験の大事な年に
水腎症による腎機能低下のため
尿管ステント、腎瘻造設と2回の入院。
そして緩和施設への入居と
どんどん全身状態の悪くなる私。

その間、ほぼ毎日学校帰りに自転車で私の所へ来て
そこで勉強をする長男。

奇跡的な回復を遂げ、緩和施設から退去。
無事大学進学が決まり
引っ越しがてら長男の新生活の地へ家族で旅行しました。

あれから約1年半。


今度は最後の入院です。

コロナの心配があるのでGWも帰って来させなかったのですが
流石に今回はコロナの様子を見ながら帰省。
(お互いの県は患者数も僅かで緊急事態宣言も発令されていない次期でした)

コロナのお陰で大学の授業は4月からずっとオンライン。
帰省した長男は授業を受けながら家事(主に食事担当)をよくやってくれて
忙しい夫の代わりに毎日病院へ来てくれています。
身体が心配なので「毎日来なくても大丈夫だよ」と言うのですが
それでも毎日夕ご飯の下ごしらえや、作り置きをしてからせっせと通ってくれています。

そんな優しい彼には可愛い彼女がいます。
今は遠距離恋愛になってしまっていて本当に申し訳ない気持ちでいっぱい。

今年の2月に一緒に食事をした事があるのですが、聡明で穏やかなとても素敵なお嬢さん。
しかも美人。
背は息子より高いし、学部も優秀です。
そんな勿体無いくらいの彼女は、息子をちゃんと中身で選んでくれたのだなぁととても嬉しくて。

息子は私が元気なうちに会わせたくて連れて来たようですが、彼女はその時はまだ私の病気の事は知りませんでした。

息子から聞いた時は驚いたようですが、お手紙をくれたり、身体に良さそうな物を送ってくれたりと
息子は本当に良い子を見つけたなと安心しています。



緩和に移ってから、長男の喪服を作るように夫にお願いしました。
私の病状や余命のことを全て知った長男は
どんな気持ちで喪服を作りに行ったのかと思うと、胸が張り裂けそうでした。

私が普通の食事を食べられるようになってからは何か食べたい物はあるかと頻繁に尋ねてくるので
「○○(長男)の作った料理が食べてみたいなぁ」
と何度か伝えました。

すると、手作りのカボチャのスイーツを持ってきてくれた爆笑


完全オリジナルレシピらしいけど
とっても美味しかった♡

ありがとう、長男。


毎日ここへ来ては
ランドリーで洗濯したり、食事の後の片付け
歯磨き後の洗い物等、本当に良くお世話してくれています。
優しい子に育ってくれて、母はとても嬉しいよ。

でも毎日どんな思いでここへ来るのか。
ガリガリに痩せこけた母を見るのは辛いだろうと思います。
それでも、毎日たわいのないお喋りを君とするのが
一番の楽しみだよ。
ありがとう。


今週は彼女がまた会いに来てくれます。

2人がこのままずっと一緒にいてくれたら…と願わずにはいられません。



生まれてきてくれてありがとう。
沢山の幸せを本当にありがとう。
ずっとずっと君の幸せを祈っているよ。









一般病院から緩和病棟に移動する前の私は
鼻に管、点滴の管、酸素吸入の管、そして腎瘻の管と
4つの管に繋がれていました。

それが一般病棟で鼻の管が抜け
緩和に来てから点滴と酸素が取れました。

腎瘻の管はこれからも抜ける事は有りませんが
随分と身軽に照れ

下痢との戦いは相変わらず続いていましたが
食事も少しずつ食べられるようになって
寝たきりで何もする気になれなかったのに
読書をするようになりました。


「自分の足で歩きたい!」と言う希望は持ち続けていたので、
ベッドの上でも足を動かしたり踏ん張ったり、腹筋に力を入れてみたり…

以前リハビリの先生からアドバイスされた
立って少し足踏みとか、
看護師さんには内緒で、毎日少しずつ少しずつ
地道な「筋トレ」を続けていました。


そして、緩和に来て2週間経った日
看護師さんに「病室の中だけでも良いから歩いてみたい」
と付き添いをお願いしてトライしてみました。


すると、
想像を超えて病室の外へ

病室のすぐそばにある
少し外が眺められるスペースまで歩く事が出来ました!
置いてある椅子に座って嬉しくて泣いてしまった。
鼻水が出で看護師さんに慌ててティッシュを持って来てもらい、2人で喜び合いました!
本当に嬉しかったおねがい


この日まではポータブルトイレにお世話になっていたのですが、次の日から部屋のトイレへ付き添って貰いながら歩いて行けるように。


歩けるようになってまだ今日で5日目ですが
秘密の筋トレと、午後の歩行は続けています。





歩行器を使って


少しずつ距離を伸ばし
ナースステーションをこえて病棟のデイルームまで歩けるようになりました!


まだまだ1人で歩くのは無理そうだけど
希望は捨てず、毎日続けていきます‼︎