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下剋上算数 攻略本 難関校受験編
桜井信一の最難関算数教室
下剋上受験 桜井信一の絶対合格カレンダー2018-2019
発売中です。よろしくお願いいたします。
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「難関大学に行けるかどうかが勝負なんだから中高一貫校なんてただの通過点」
様々な意味を持つこの意見、本当によく見聞きします。
確かに履歴書を書く上で最終学歴こそ重要で、その経過は大した判断材料にならないという意見は尤もかもしれません。私も良い大学に行ってほしいと切に願っています。
しかし、就職する際の評価、大人としての評価、それは学歴だけで決まるものではないでしょう。学歴を必須条件として、ようやく土俵に上がることができると考えたとき、中学・高校をどんな場所でどういう風に過ごすかがとても大事なことだと思うのです。
中学・高校という多感な時期にどれだけ視野を広げて過ごすことができるか、ここが大人として長く生きていく上での基盤になると思うのです。もちろんその視界に、私が見てきた風景は入っていないことを望んでいます。
公立中・公立高から難関大学に進学した。
ほれみろ、中学受験したやつなんかよりもずっとずっとローコストだ。
うちの子は親孝行だ。
実際に私立の中高一貫校に我が子が通っている親として、「そうかなあ」と思ってしまうのです。
公立中・公立高から難関大学に進学する保証があっても、やっぱり今の道を与えてやりたいと思っています。
金銭的な壁があっても、何とかして私立の中高一貫校に行かせてやりたい。そのためのお金なら惜しくないとさえ思います。
うちの場合、学費以上のメリットを感じているのです。
公立の道、私立の道、両方の親になった経験がないのでこちら側しか見えませんが、今の環境に何も物足りない点がありません。
学力面だけで考えると、予備校も近くにないような田舎から難関大学に進学してきた子に、都会で培養された子は勝ち目がないかもしれません。でも、同じハードルをこえたのなら別に大きくこえなくてもいいんじゃないか、所詮同じハードルじゃないかというのが私の考えです。当然間違っているかもしれません。
才能、生き抜く力、これも公立の道を通って難関大学に進学してきた子に敵わないかもしれません。少なくともうちの子は敵わないでしょう。
しかし、特に「生き抜く力」は必要以上にない方が良いと私は思っているのです。
私は学歴がない中で、何だかんだ生きてきました。普通の人はわからないかもしれませんが、今の時代に中学しか出ていないような大人が、家族を持ち生活を成り立たせるのは至難の業でした。食べるだけなら多くの中卒が可能ですが、それ以上上乗せするのが非常に難しいのです。
今年から考えてもみなかった学費がいるよ、あと他に何がいるかわからないよ。
そう言われても、「オレなら何とかなる、いや何とでもする」と思っていました。その自信と根拠もありました。金銭面のことなら妻もその辺のことは十分わかっていて、「まかせとけ、ちゃんと考えてるから」とさえ言っておけばそれ以上は何も言いません。今まで何とかしてきたのだから慣れたものです。
しかし、こういう能力は持ってほしくないと強く願っています。
何とかなるから、そういう経験があり自信があるから、人生を大事に生きることに無頓着だった。この力はない方が良かったと常々思っているのです。
「生き抜く力」というものはカッコイイものじゃない。まあ生命力抜群のゴキブリみたいなもんだ。父さんは雑草根性に敬意も持たなければ羨ましいとも思わない。凄いとも思わない。もっと洒落た人生を父さんに見せてくれ。
よく子どもに言っています。
こんな家に生まれたからでしょうか、学校の環境が変わったからでしょうか、子どもも同じ考えのようでほっとしています。
この年頃になると、家庭環境から受ける影響と学校生活という環境から受ける影響では、圧倒的に学校の方が大きくて長い。どんどん形成されていくのを見ていると、学費以上に大きな大きなメリットを受けていると感じます。どんどんうちの子らしくない姿になっていくのを見ながら、「培養も悪くないね」と微笑んでいるのです。
ここまで親を喜ばせてくれた学校に感謝しているのはもちろんのこと、こんなに良いものなら広く伝えたいという気持ちもあります。価値観は様々でしょうけれど、何かがきっかけで変わることってあるだろうから。
2019年度の受験生はしっかり予定を立てて最後の1年がんばろう!
↓ ↓
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「難関大学に行けるかどうかが勝負なんだから中高一貫校なんてただの通過点」
この意見の中には、希望する中高一貫校を逃し奮起するためにもこの考えを支えにしている人もいるかもしれません。金銭的な問題かもしれません。もうすでに大学に行き納得済みの人もいる。
そしてもちろん本音の人もいっぱいいる。
お稽古事を無駄だと考える親もいればその逆もいるように価値観はそれぞれで当然。どちらが正解か意見をぶつけ合う必要なんてないと思うのです。
しかし、ネット社会の影響かそれが見えやすくなっただけのことかわかりませんが、真逆の意見を持つ人をねじ伏せようとする無意味な討論を目にします。攻撃的な大人が増えてきたのかもしれません。
「親」の意味もそう。
どこまでが自分でどこからが親か。
思春期の子どもを持つ親はまだまだ若い。人生を謳歌中でしょう。まだまだ自分の人生を歩いている最中ですから、子どもへのウエイトをどこまでにするかは人それぞれでしょう。
車が好きで好きで、それは自分の趣味だから優先順位が高い人がいるのは当然で、それを削ってまで塾や学費にあてるのは少し違うんじゃないかという人たちの感覚と、塾にせっせとつぎ込む人たちの感覚、両方存在するのは当然のこと。両立できればいいけれど、そんなに余裕がある人ばかりじゃない。大人というのは必要以上に老後の備えをするのが好きで、それが安心して暮らす支えみたいなものだから。
老後の備えのあとにどちらかを選択しなくてはいけないとき、考え方の違いによって子どもの運命は変わります。この判断に子どもの意見は反映されません。
金銭的な問題だけではなく、人生に夢中の親もいるでしょう。私の両親がそんな感じでした。体が動くうちに1円でも多く稼ぐというのが口癖で、子どもはほったらかしでした。なんと今もガンガン働いています。
「衣食住を用意するのが親の役目。将来を考えるのは自分でやれ」
そう言っていました。その方がたくましくなると言っていました。
確かにたくましくなりましたが、「こんなたくましさは要らないよ」。両親の前でそう苦笑いしています。
人生を大事に生きるためには、少し軟弱な方がいい。培養くらいでちょうどいい。転んだときが一大事だからこそ、人生を大切にすることができるというのが私の考えです。七回転んでもまた立ち上がれる自信があるから人生を大事に歩けないと思うのです。
「華やかでなくていい、洒落た人生を見せてくれ」
いつも、ぼーっと呟いています。
第2回の申し込み締め切りは、8日(木)です。
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確かに履歴書を書く上で最終学歴こそ重要で、その経過は大した判断材料にならないという意見は尤もかもしれません。私も良い大学に行ってほしいと切に願っています。
しかし、就職する際の評価、大人としての評価、それは学歴だけで決まるものではないでしょう。学歴を必須条件として、ようやく土俵に上がることができると考えたとき、中学・高校をどんな場所でどういう風に過ごすかがとても大事なことだと思うのです。
中学・高校という多感な時期にどれだけ視野を広げて過ごすことができるか、ここが大人として長く生きていく上での基盤になると思うのです。もちろんその視界に、私が見てきた風景は入っていないことを望んでいます。
公立中・公立高から難関大学に進学した。
ほれみろ、中学受験したやつなんかよりもずっとずっとローコストだ。
うちの子は親孝行だ。
実際に私立の中高一貫校に我が子が通っている親として、「そうかなあ」と思ってしまうのです。
公立中・公立高から難関大学に進学する保証があっても、やっぱり今の道を与えてやりたいと思っています。
金銭的な壁があっても、何とかして私立の中高一貫校に行かせてやりたい。そのためのお金なら惜しくないとさえ思います。
うちの場合、学費以上のメリットを感じているのです。
公立の道、私立の道、両方の親になった経験がないのでこちら側しか見えませんが、今の環境に何も物足りない点がありません。
学力面だけで考えると、予備校も近くにないような田舎から難関大学に進学してきた子に、都会で培養された子は勝ち目がないかもしれません。でも、同じハードルをこえたのなら別に大きくこえなくてもいいんじゃないか、所詮同じハードルじゃないかというのが私の考えです。当然間違っているかもしれません。
才能、生き抜く力、これも公立の道を通って難関大学に進学してきた子に敵わないかもしれません。少なくともうちの子は敵わないでしょう。
しかし、特に「生き抜く力」は必要以上にない方が良いと私は思っているのです。
私は学歴がない中で、何だかんだ生きてきました。普通の人はわからないかもしれませんが、今の時代に中学しか出ていないような大人が、家族を持ち生活を成り立たせるのは至難の業でした。食べるだけなら多くの中卒が可能ですが、それ以上上乗せするのが非常に難しいのです。
今年から考えてもみなかった学費がいるよ、あと他に何がいるかわからないよ。
そう言われても、「オレなら何とかなる、いや何とでもする」と思っていました。その自信と根拠もありました。金銭面のことなら妻もその辺のことは十分わかっていて、「まかせとけ、ちゃんと考えてるから」とさえ言っておけばそれ以上は何も言いません。今まで何とかしてきたのだから慣れたものです。
しかし、こういう能力は持ってほしくないと強く願っています。
何とかなるから、そういう経験があり自信があるから、人生を大事に生きることに無頓着だった。この力はない方が良かったと常々思っているのです。
「生き抜く力」というものはカッコイイものじゃない。まあ生命力抜群のゴキブリみたいなもんだ。父さんは雑草根性に敬意も持たなければ羨ましいとも思わない。凄いとも思わない。もっと洒落た人生を父さんに見せてくれ。
よく子どもに言っています。
こんな家に生まれたからでしょうか、学校の環境が変わったからでしょうか、子どもも同じ考えのようでほっとしています。
この年頃になると、家庭環境から受ける影響と学校生活という環境から受ける影響では、圧倒的に学校の方が大きくて長い。どんどん形成されていくのを見ていると、学費以上に大きな大きなメリットを受けていると感じます。どんどんうちの子らしくない姿になっていくのを見ながら、「培養も悪くないね」と微笑んでいるのです。
ここまで親を喜ばせてくれた学校に感謝しているのはもちろんのこと、こんなに良いものなら広く伝えたいという気持ちもあります。価値観は様々でしょうけれど、何かがきっかけで変わることってあるだろうから。
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「親」の意味もそう。
どこまでが自分でどこからが親か。
思春期の子どもを持つ親はまだまだ若い。人生を謳歌中でしょう。まだまだ自分の人生を歩いている最中ですから、子どもへのウエイトをどこまでにするかは人それぞれでしょう。
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老後の備えのあとにどちらかを選択しなくてはいけないとき、考え方の違いによって子どもの運命は変わります。この判断に子どもの意見は反映されません。
金銭的な問題だけではなく、人生に夢中の親もいるでしょう。私の両親がそんな感じでした。体が動くうちに1円でも多く稼ぐというのが口癖で、子どもはほったらかしでした。なんと今もガンガン働いています。
「衣食住を用意するのが親の役目。将来を考えるのは自分でやれ」
そう言っていました。その方がたくましくなると言っていました。
確かにたくましくなりましたが、「こんなたくましさは要らないよ」。両親の前でそう苦笑いしています。
人生を大事に生きるためには、少し軟弱な方がいい。培養くらいでちょうどいい。転んだときが一大事だからこそ、人生を大切にすることができるというのが私の考えです。七回転んでもまた立ち上がれる自信があるから人生を大事に歩けないと思うのです。
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いつも、ぼーっと呟いています。
第2回の申し込み締め切りは、8日(木)です。