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やっぱダメだな……。こりゃどう考えてもダメ。

計画が無謀すぎた。夢をみすぎた。

そろそろ現実をみなきゃな……。

何度やってもダメだもんな。もうこれ以上伸びることはない。

模試の結果や日々の勉強の成果をみて、心の中でそう思います。

一度や二度ではなく、何度も何度も思うのです。

ちょっと現実的じゃないな……。勉強に向いてない。

この子に向いたことを他に探してやろう。その方が本人のためだ。

そもそもこの子はそこまで頑張れない。

今度こそ諦めよう。もう好きにさせよう。そう思うのです。

だって前回そう思ったときに、「次ダメだったら諦めよう」と決めたわけですから。

中学受験と戦う親の大半がそう思うのです。何度も何度も。



そして、そう思ったことのある親の大半が何度目かでこう言いだす。

「結局は本人の人生だ。本人に任せるしかない」

「頑張らなきゃどうなるかを学ぶのも人生だ」

「ずっと親がついていてやるわけにいかないんだから」

「いずれひとりで生きていかなきゃならないんだから」

「親が無理矢理やらせても意味がない」

「一度痛い目にあうのも大事なことだ」


――当時私が気付いた中学受験レースのからくりです。



もし、いま諦めかけている方がいれば、

もう何度目かの溜息で疲れ果てた方がいれば、


ちょっとここで一緒に考えませんか。

子どもはどうして頑張らないのか。



頑張れないから結果が出ないと考えがちですが、

結果が出ないから頑張れないかもしれない。


多くの親が同じように大きな溜息をつく。

そりゃそうでしょう。ギャップが大きすぎるのです。

中学受験塾に入塾させた日のことを覚えてますか?

口には出さなくても果てしなく夢が広がっていませんでしたか?

ぐんぐん伸びる我が子をみてみたいと思ったでしょう。

しかし、そうはうまくいかなかった。現実は甘くなかった。

もうじゅうぶん思い知らされた。

だから嫌気がさしてきたんでしょう?

それ、子どもは何も悪くない。

夢を見たのは親ですし、夢だと思わせたのも親なのです。

それなのに、一番頑張らなきゃならないのは子どもなんです。

その間、親は期待していただけで同じだけ頑張ったわけじゃない。

そこで親が投げだしたらさすがに子どもは残念。

投げださなかった親のもとで育つ子と比べると残念すぎる。

――当時の私の気持ちです。



だから少し落ち着いて考えましょう。

諦めないまでも、大きく軌道修正し妥協するのは少し待ちましょう。

このかけっこは、大半の親が同じことを思い、大半の親が何度目かで諦めるのです。


こんな楽なレースがありますか?


今までみんなで走っていた。でもやっぱりわが子より速い子がいた。

その速い子よりもまだ速い子がいて、妥協地点は違うけれど、やっぱり同じように諦めかけている。

同級生の多くが前をみて嫌気がさし、走るのを止めると言いだした。

かけっこなのに、もう走れないと言いだしたのです。

立ち止まる子もいれば、ダラダラと歩きだす子もいる。

それをみて呆れるだけの親がいる。

結果じゃない。必死になってくれさえすればそれでいい。

ダラダラして頑張らないから腹がたつんだと……。

だから我が子にもっと必死で走ってほしかった。

結果に呆れているのではなく、ダラダラするわが子に呆れているんだ。



そうでしょうか?

結果もでないのに頑張れますか。そんな子いますか。



このかけっこは、さすがに止まる子、歩く子には負けない。

能力の差で結果を決めつけて最初から諦めるのではなく、

こうして多くの親子が諦めるという事実を教える絶好の機会。

つまり、

最後まで走ることの有利さに比べると、

多少の能力差なんて大した問題ではないことを教えるチャンス。

この機会を逃し、親が諦め、この先何を教えるのですか。

行きましょうよ。さすがにここは行きましょう!

絶対に多くの親が何度目かで諦めます。それはもうすごい確率で諦めます。

だから行きましょう。

もう一度だけなんて言わずにあと百回でも行きましょう。




そういう私も何度も何度も諦めかけました。

何日に一回ではなくて、一日のうちに何度も投げ出したくなりました。

いくらなんでも無謀すぎる。四則計算すら危うかった子が最難関は無謀。

この子には申し訳ないが、小学校1年生から気付かなかったオレが悪かった。

そんなにいい学校に行かせたいなら生まれてすぐ取りかかるべきだった。


やってもやっても差を感じ、父娘で絶望して何か得するか?

こんなことはやめよう、卑屈になるだけだ。そう思うことにしました。


そんなとき、私はいつも同じことをイメージし、諦めようとする自分を吹き飛ばした。

「投げださなかった親のもとで育つ子と比べるとこの子は残念すぎるじゃないか」


でも娘まで諦めようとしたとき、私は何度か涙して娘にこう言いました。




父さんは諦めるわけにいかない。

おまえが安い給料の旦那さんと日々ケンカしながら洗濯している姿が目に浮かぶと、父さんは諦められない。

ママと同じ不満を持たせるわけにはいかない。

料理はたくさん材料が買えるから作るのが楽しいんだ。

スーパーに行ってストレスを感じながら買い物をして作る料理なんておいしいはずがない。


おまえが楽しくスーパーに行く姿をみてみたい。

いま叱ってでも叩いてでもおまえが笑顔で暮らす顔をみてみたいんだ。

でもさあ。こんなにかわいいんだ。父さん、おまえがかわいい。

こんなにかわいいのに叩けないだろ。叱れないだろ。

だから頼むしかない。あと少し耐えてくれと頼むしかない。

父さんたちは反面教師なんかじゃない。

こうはならないでくれなんて思ってない。

父さんたちを反面教師にする程度じゃダメなんだ。幸せが足らない。

もっととんでもない幸せをみせてやりたいんだ。

だからこの道は諦められない。父さんは諦めない。

頑張ってみようって話じゃない。必ず辿り着く。

絶対に父さんが辿り着かせる。

諦めなかったおまえがゴールでがっかりすることは100%ない。

もし合格しなかったら、父さんが何度でも頼んでやる。

1人くらい増えてもいいじゃないかと必死に頼んでやる。

どんなことしても最難関中学に入れてやる。

なっ? だからやろうよ。頼むよ……頼む。





そう言うと、娘はいつも返事しませんでした。

でも次の日からまた頑張ってくれました。

もちろんいい学校に行ったからって幸せになるれるとは限らないことくらいは私もわかっています。

でもそれ言い訳でしょ? 

どう考えても確率が違うじゃないですか。

一度痛い目にあうのもいいですって?

そんなわけない。

私は何度も痛い目にあった。

反省した。後悔した。

それでも一応頑張ってみたこともあった。


でも実感がわかなかった。

辿り着く感覚を知らないから努力が無駄に思えて仕方なかった。

でもやらなきゃと何度も思ったけれど諦め癖が邪魔をした。染みついていた。

結局、何もわからなかった。辿り着くとどうなるのかわからなかった。


そしたらどんどん年齢を重ね、とうとうチャンスすらなくなってきた。

それでも、一度痛い目にあう方がいいですか?

辿り着く感覚を知る方がいいじゃないですか。


もういい加減にしろ!っと諦めかけたお父さんお母さん。

やっぱり行きましょうよ。子どもだけじゃ無理ですよ。

子どもだけでは流れを変えらない。

多くの子は親子じゃないと無理なんです。



明日の朝、わが子が目覚めたら言ってやりましょうよ。

「おまえだけを頑張らせることはしない。約束するよ」と。




そして、

「他の親とはちょっと違うぞ」ってところをわが子にみせてやりましょうよ。

2017.5.1

桜井信一