村上春樹の新刊を読んだあとにkindleで購入した本。村上龍の寂しい国の殺人で示されていた、近代化後の世界をより明確にしていると感じた。


リトル・ピープルの時代
宇野 常寛
幻冬舎
売り上げランキング: 12,160


近代化後は、自分の人生の目標を自分で決められる世界。そのことを良いこと感じる人もいれば、不安になる人もいる。そして、一番不安になるのが中年男性、というのが村上龍の主張。この話はリトルピープルの時代も同じではないかと思う。
【参考記事】寂しい国の殺人/村上 龍

今の時代がバトルロワイヤルの時代なのは、その通りだと思う。個人が個人の価値観で考え、行動し、個人で責任をとる。近代化後は、そんな本当に自由で楽しい時代がくるのではと思っていた。しかし、その実はバトルロワイヤルの時代だった。

自分が考えていた近代化後の楽しい時代は実際は違っていた。その差は、自由競争を維持するのは幾つかの前提とそれなりのコストがかかるという当たり前のことが見えていなかったからではないかと思う。

自由競争が牧歌的に維持されるためには無限に資源があることが前提になる。もし、その前提がなければ競争に勝利した人に独占的に資源が提供されるのは難しい。資源が有限であれば独占しようとする人は排除される。

近代化後は、個人が自由に自分の人生を描き決められる。だから、楽しく自由な世界、と思っている人は実は少なく、誰も何も決めてくれないと思う人が多く、その不満が様々形として現れる。これは、ある意味自由を謳歌する人にとっては社会コストになる。

バトルロワイヤルも、3つの世代のバトルの側面もあるのでは。ビック・ブラザーの再出現を望む世代、自由を謳歌したい世代、そして、バトルロワイヤル以外のルールを探す世代の3つ。その3つの世代が同時に存在しているというのも混乱している原因のひとつ。
【参考記事】世界共和国へ―資本=ネーション=国家を超えて/柄谷 行人

リトルピープルの時代に私は、ハッキングによるルール修正を行うことでのバトルロワイヤルではないシステムの構築に希望を持ちたい。その意味では、本書で指摘されているハッキングによるルールの上書きというのは非常に参考になった。

twitter 2013/05/09