放送作家の鈴木おさむ氏(51)が、
3月末で放送作家業・脚本家業をやめる。

19歳から「笑っていいとも!」
「めちゃ×2イケてるッ!」「SMAP×SMAP」
など伝説的な番組を手掛けてきた32年間。

テレビの黄金期を駆け抜けた鈴木氏の生きざまと、
引き際の美学を聞いた。

 


「あと2週間ですか。名残惜しいというより、
 無理して仕事をしてきたので一度閉じたくて。
 重圧がすごくて。本当に苦しかった」

 

「楽しかった」「充実していた」
という“お決まり”とは異なる答えも、
また鈴木氏らしかった。



幼少期から「面白い」を指針とした。
小学生時代。

初めて手掛けた芝居で、
不良に絡まれるマッチ売りの少女を演じた。

生徒会の発表会に笑いを生み、
初の成功体験になった。高校時代。

夢中になった「夢で逢えたら」
(フジテレビ系)で志が固まった。


「(ビート)たけしさんやとんねるずさんのラジオのように、
 『作家臭』がして。こんなことがテレビでもできるんだ」

 

19歳からキャリアをスタートさせた。

32年間。端から見れば輝かしい経歴だが、
「『ヤッター』や『うれしい』はありましたけど、
『楽しい』は一度もなかった」と即答した。



「『ショートコントを5個考えてきて』
 と宿題が出て。

 普通の人は5個しか考えないけど、
 ボツになる可能性も考えて、
 僕は1個に対して10個、
 5個だと50個考える。
 だから、眠る暇なんてなかった」

 

「楽しい」「面白い」を求めて
「つらくて、苦しい日々」を送った。


相対するように見えるが、


「最近、白鵬さん(大相撲・宮城野親方)
 とイチローさんに会って。
『現役時代は一度も楽しいと思わなかった』
『ずっと苦しかった』とおっしゃっていて。
やっぱり、そうなんだと安心しました」

一流のみが知る「生みの苦しみ」を共感できた。



「めちゃイケ」や「Qさま!」(テレビ朝日系)
などを手掛ける中で、「SMAP」と向き合った。

「スマスマ」は96年から20年間続いた。
「120%の力を出し続けた」と回顧した。



「メンバーと向き合うには、
 とにかくパワーが必要で、常に緊張感があった」


SMAPとの仕事で意識したのは「奇跡の伸びしろ」

 

「彼らと仕事をすると、信じられないことが起きる。
 例えば(2014年の)27時間テレビで
 行った野外ライブ。台風が来ていて、
 野外ステージは絶対無理と。

 でも、ライブ直前の(明石家)さんまさんと、
 SMAPのコーナーが始まった瞬間に、
 台風の進路が変わったんですよ」

当時を思い返すと、自然と言葉に熱が帯びた。
身ぶり手ぶりも加わった。

「天気予報士さんも『説明できない』と」。
 肩で息を吐き、感嘆するように言った。
「だから、そういうことなんですよね」


 

30代後半の記者にとっても、
SMAPは「ヒーロー」だった。

歌やトークで笑顔を広げたと思えば、
弱者や被災者に目線を合わせ、寄り添う。
無条件で信じられる存在だった。

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それが、16年1月18日に変わった。

スーツ姿の5人が画面越しに謝罪した、
その光景から何かが崩れた。
番組を手掛けた鈴木氏もその一人だった。



「僕らもそうですよ。
 テレビで何を見せられているんだと思いましたし。
 でも、その番組のクレジットに
 自分の名前が入っていて。
 あそこからいろいろおかしくなったと思うし、
 あそこからいろいろなことが変わった」


その年をもって、SMAPは解散した。


その2、3年後。
鈴木氏は、自身の胸に手を置いた。

「スイッチが入らない」
国民的グループの異様なラストに、
やりきれない思いを抱えるファンと同様だった。

その後も「奪い愛、冬」(17年)
「M 愛すべき人がいて」(20年)、
現在も「離婚しない男―サレ夫と悪嫁の騙し愛―」
など話題作を手掛けたが、
「振り切って生きられていない」


SMAPと過ごした時間を上書きできず、
決意を固めた。
それでも「悲しいことだけではなかった」
とも思う。


「ああいう形になって、
 悲しんだ人がメチャクチャいる。
 でも、救われた人もいる。
 いろいろなことが変わった。
 大きな犠牲でしたけど、あれで結界が破れた」


今画面越しには当時、
珍しかった顔ぶれ同士が共演する光景も見える。

だが、そこにSMAPはいない。

5人が「謝罪」した日も、
涙ながらに「世界に一つだけの花」
を歌った「ラスト」も脚本を記した。


「もしあの日に戻れたら―」。

そう聞くと、
それまで自身の思考を瞬時に言語化してきたが、
固まった。

「うーん」。5秒、10秒たち口を開いた。



「すごいつらいですけど、同じ道を歩むと思います。
 “あれ”でいろいろなことに気づけた人がいる。
 こんなにいろいろなことが変わった。
 悲しくて、つらくて、しんどかったけど、
 一番近くでSMAPの最後に立ち会えた。
 証人として立ち会えた」


放送作家や脚本家からは退くが、
人生が終わったわけではない。



「今後は若手の応援をしたいし、
 バイクも手話もやりたい」

そう言いつつ、笑った。

「でも肩書がない」。
冗談めかしたが、意識する背中は変わらない。



「たけしさんのように、
 生きざまで見せる方が好きで。

 糸井(重里)さんは50歳で
 『ほぼ日刊イトイ新聞』を開設した。

 伊丹十三さんは51歳から映画監督を始めた。
 それに…」


ひと呼吸置いて重ねた。

「中居正広さん、木村拓哉さんは
 同じ年ですけど、
 本当にパワフルじゃないですか。
 僕も負けないようにね」


 

最後に言った。

「SMAP以上に奇跡を信じられた人ですか? 
 現れたと思いますか? 
 大谷翔平さん以外でね。
 芸能界だと、いないよね。
 皆さん、そうだと思います。
 それが、素直な感想じゃないですかね」

少し悲しそうに、
でも吹っ切れたように笑った。

SMAP解散から7年。

メンバーがそれぞれの地で活躍するように、
鈴木氏もペンを置き、新たな人生を歩む。


鈴木おさむ氏「一番近くで証人としてSMAPの最後に立ち会えた」…「謝罪」の日に戻れたら?沈黙の後、語り出した言葉 (msn.com)