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数年前、初めてお会いした

木村藤子さんは、本当に誠実な方で、
命がけでお役目を果たす方でした!


虹のひかり光星さんの鑑定では、
こちらから質問内容を一切伝えず、
光星さんが受け取ったメッセージを伝えることからスタートし、


その後、こちらが聞きたいことを
質問するスタイルですが、


本物の霊能力を持つ方は、
質問を聴かずして、メッセージを伝えるのですね♪


ちなみに、
木村藤子さんのご主人もとても素晴らしい方でした☆

まさしく、波動の法則のお二人です!!!


  (ご参考)

”青森の神様☆木村藤子さんと
 虹のひかり光星さんの共通項!”

https://ameblo.jp/sakura-ke/entry-12213274436.html



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日刊ゲンダイDIGITAL 10月24日(月)9時26分配信

霊能者を自称する人は数多いが、

美輪明宏に「彼女こそ最も信頼の置ける霊能者」
と言わしめたのが木村藤子さん(69)。


「オーラの泉」「金スマ」などのバラエティー番組に出演し、
タレントの飯島愛(享年36)の引退と死を予言したと話題になった。

木村さんは今どうしているのか。


■相談内容は全部言わなくていい

「朝は6時に起きて主人とラジオ体操。
8時ごろからお客さまをお迎えしますが、
今は予約制なので1日15人ほどに限らせていただいています。

いらっしゃるのは、ご自分や身内に病気を抱えた方、
会社経営や不登校で悩んでいる方などさまざまです。
海外からお見えになる方もいますよ」


青森県むつ市の自宅で会った木村さん。
記者の目を見つめ、ほほ笑みながらこう続けた。


「相談内容は全部言わなくていいんです。
しゃべりすぎると私に“答え”を教えてしまうことになりますので、

『言わないでいいんですよ』と制すると、
『余計なことを言うなと怒られた』と吹聴されることもあります。


私の親切がわかっていない?(笑い)。

でも、私はカウンセラーではなく、神様の言葉を伝えているのです。
つまり“気づき”を知り、幸せになってほしいのですが、

ささいな誤解に心を痛めるときもあります」


8人きょうだいの末っ子として大事に育てられた木村さん。

母親も地元で「神様」と呼ばれる霊能者だったが、
木村さんにはまったく関心がなく、
高校卒業後は地元の信用組合でOL生活を送っていた。
ところが30代半ば、「神様の御利益(啓示)を授かった」と話す。


「何か禍があるとすぐ先祖のせいにしたり、
風邪をひいても神様のバチが当たったなどと、
人の無知につけこんで金儲けをする人もいます。

でも、私はそれが大嫌い。

物事を正しく判断するには『知ること・知識』が大切です。
それが“気づき”の根源。


夫婦ゲンカも嫁姑問題も、
“気づき”で解決できることがあるとわかったんです」



■「考えを変えてもらおうと慌てすぎた」

さて、木村さんを有名にしたのは、
1990年に起きた“ヘビ騒動”だ。

むつ市の百貨店で催された「世界のヘビ・大爬虫類展」から
体長5メートルの巨大ニシキヘビが逃げ出し、
その所在を木村さんが言い当てた。

それがきっかけで、テレビ局から出演依頼が殺到した。


「テレビに出るなんてとんでもないと、かたくなに断っていたんです。
田舎の人間でしたから電車の乗り方もわかりません。

でも、私の考えを理解してもらいたい一心で、
修学旅行以来、初めて電車に乗りました。

最初は仙台、そして東京。
テレビに出て知名度が上がると、

『付き人くらい持てばいいのに』と言われたことがありますが、
そんなことをしたら自分を見失ってしまう。
なので、自ら受付に立つこともあるんです」


TBS系「中居正広の金曜日のスマたちへ」(番組名は当時)で、
08年12月に病死した飯島愛を霊視したことが話題となった。


番組の中で「今、引退せずに乗り越えた方がいい。
2、3年後は違う形で良い方へ向かう」と飯島を励ましたが、
結局、彼女は芸能界を引退し、その後、孤独な死を迎えることになった。


「彼女に考えを変えてもらおうと慌てすぎていたんですね。
マイクがオフになっていると思い込み、
スタジオの隅で彼女に助言したのですが、

その様子がテレビに映ってしまい、さまざまな臆測を呼ぶことになりました。
命の限度をしみじみ感じる出来事でした」



むつ市で夫と2人暮らし。

「本が大好きなので、暇さえあれば読書をしています。
書物は知識の宝庫。
死ぬまで勉強です。
できればこれからは仕事を減らして、
世間並みの生活を楽しみたいとも思っています」