1. 検査台の「完璧なAB型」
夕暮れの彩虹中央病院。交通事故で運び込まれた高齢女性、紫田(しだ)さん(80)の緊急輸血対応に検査室が沸き立つ。
血液担当の青井は、流れるような手つきで試験管を並べ、判定を下した。
- オモテ検査(抗A血清・抗B血清): 抗A(+)、抗B(+)
- ウラ検査(A1血球・B血球): A1血球(-)、B血球(-)
「判定、AB型! オモテ・ウラともに一致しています。すぐに交差適合試験に入ります!」
青井の報告に、生化学主任の黒木陽子が鋭い視線を投げかける。
「青井くん、判定保留。……その抗B試薬の凝集、不自然に弱くない? 鏡検して。あと、紫田さんの既往歴をすぐに確認してちょうだい」
2. 「化けた」赤血球の正体
陽子の予感は的中した。紫田さんにはS状結腸癌の既往があったのだ。
「やっぱり。彼女、後天性B(Acquired B)だわ」
顕微鏡を覗いた青井が息を呑む。本来のAB型なら均一な強凝集が見られるはずだが、抗B試薬との反応は部分凝集で弱かった。大腸癌の影響で増殖した細菌の酵素が、彼女のA型抗原を「B型っぽく」変質させていたのだ。
「でも主任、後天性Bなら、自分の本来の『抗B抗体』がウラ検査のB血球と反応して、裏不一致が起きるはずですよね? 今回はB血球も凝集してない。やっぱりAB型なんじゃ……」
3. 生化学が暴く「二重の偽装」
陽子は無言で、自身の担当である生化学分析機のモニターを指差した。
「これを見て。紫田さんの蛋白分画データよ。ガンマグロブリンが極端に低くなっている。彼女、低ガンマグロブリン血症を併発しているわ。おそらく、背景に悪性リンパ腫が隠れている」
青井の顔から血の気が引く。
「……つまり、『細菌のせいでBのフリをした赤血球(オモテ)』と、『病気で抗体が作れなくなった血清(ウラ)』が偶然重なって、AB型に見えていた、ということですか?」
「そうよ。二つの異なる疾患が、検査結果を『偶然のAB型』に仕立て上げたの。彼女の本当の姿は、抗B抗体さえ作れなくなったA型よ。ここでAB型を輸血したら、数日後に遅発性の溶血副作用を起こして、衰弱した彼女の命は終わっていたわ」
4. 虹を紡ぐ者
陽子の指摘を受け、白川部長は即座に「A型」での輸血を決定。紫田さんは一命を取り留め、同時に見つかった悪性リンパ腫の治療も開始されることになった。
数日後、病棟の茶野看護師が検査室を訪れた。
「紫田さん、『検査室の魔女に見つけてもらって、本当の自分(A型)に戻れた』って笑ってたわよ。あんなに大変な状況なのに、前向きな方ね」
帰り際、青井がぽつりと漏らした。
「後天性Bと低ガンマグロブリン血症のダブルパンチなんて、教科書でも見たことないです。主任はどうして……」
陽子は自転車の鍵を指で回しながら、ふふっと笑った。
「バラバラのデータが、一人の患者さんの中で繋がる瞬間があるの。それが聞こえるかどうかが、私たちの仕事よ。……さて、今夜はポトフにしましょう。バラバラの野菜が一つになって、美味しくなるようにね」









