圏央道の桶川北本インターを目指して走っていたら、ふと「桶川飛行学校平和祈念館」の案内表示が目に入りました。
誘われるまま、走ったら、新しく整備された歴史を感じさせる一角が目に入りました。旧軍の遺構にありがちな分厚いコンクリートや石造りのものではなく、木製の門構えがなんとなく温かみを感じさせてくれるのが、旧軍隊の持ついかめしいイメージが少しでも拭わせてくれる印象を持ちました。
わしが今住んでいる土浦市をはじめ、茨城県には旧海軍の施設の遺構、あるいは資料などが展示されている施設がいくつかありますが、それらはいずれも「○○航空隊」の名称を持つもので、予科練教育を行われた場所であっても「土浦航空隊」の名称で知られておりますが、旧陸軍は「飛行学校」という名称を用いているのが印象的です。この場所に存在したのは「旧熊谷陸軍飛行学校桶川分教場」というそうです。
拡大していただければ概要を知ることができると思います。
当時の建物を修復・整備して真新しく見える立派な展示施設がそこにはありました。繰り返しますが木材のぬくもりが殺伐とした戦争のイメージから少しでも救われている印象を受ける気がします。とはいえ、昭和殉難のご苦労に際し、先人たちはどのような思いを胸に秘めてここで過ごされたのでしょうか? 決して風化させてはならない時代の試練だと思います。同じことを繰り返すことはよもやありえないと思いつつ、困難に直面した時、何かを教えてくれるような気もどこかで感じることができます。
ここです。飛行学生の生活で陸海軍の一番の違いは。海軍さんは艦上生活を想定してハンモックで就寝するのに対し、陸軍の兵舎ではベッドで寝起きされています。些細なことかもしれませんが、この違いって大きいです。
飛行機を操縦する人間がいつの間にか機械の一部としてしか認識されなくなって非人間的なアタックが日常化してしまった精神構造の背後にはこんな生活スタイルから出てきたのかもしれません。
人が人であることを見失ってしまう狂気がそこには潜んでいるのかもしれません。
後世に生きるわしらは先人のご苦闘を真摯に受け止め、より良い未来へ向けて、と言いたいのですが、今回の参議院選挙、ありゃなんじゃ、申し訳立たんやないか。と日本の現状を憂いたくなります。一票しか持ってない身には受け止めきれないぐらいの重さがありますが。