今年のゴールデン・ウイークは、外出する後ろめたさがほぼなくなって、結構自由に移動できているような感じがします。海外ではマスクをしなくてもいいという国も増えてきているそうです。

 その反面、国際情勢の不安定さや、ここにきての円安の進行などで様々な影響が表に現れ始め、材料コストの上昇や調達の遅れなど景気の失速が予感される不安材料もかなり見受けられます。

 そんな中で、まず行こうと思っていたのは足利温泉スタンドでして、そのわけは前回訪問時のブログを見ていただければお判りいただけると思います。

 

 

 

 この時は喉頭がんの放射線治療開始直前で、病気に立ち向かうファイトを奮い立たせながら、どこかで不安もあり、それを克服するためにやってきた、つまり身も心も癒しを求めていたのでしょうね。

 また、ここは金曜日と日曜日しか営業しておらず、金曜は仕事があるし、日曜日も何かしらある(たとえばアーメンとか)ため、なかなか訪れる機会がありませんでした。

 前回のブログに書いたように、それから3か月たって放射線治療も終了し、あとは経過観察を続ける身となったため、感謝の気持ちも込めて再訪したということです。単純にここのテント湯、気持ちいいからというのもあるのですが。

 

 
 さて、今日はひょんなことで坂道を上らず、県道をまっすぐ進んでしまい、引き返すために転回する場所を探しているうちに「名草の巨石群」という案内板が目につき、寄り道をしてしまいました。じつは道草食うのは子供のころから結構好きで、今じゃそのたびに奥さんに叱られるのですが、今日はピンで来ているから少々は構わないだろう、と林道を奥に進んでいきましたが少し走ると道が細くなり「クマ注意」の看板が出ていたり、天気の具合も良くないので、車での深追いは断念して、駐車場に停めてから徒歩で厳島神社の鳥居をくぐることとしました。写真に見える鳥居の左下の看板は「今年5月のお祭りは中止」という残念なものでした。京都の葵祭も中止ですから。3年間もお祭り途絶えて、伝統の継承はどうなるのだろうか、とこれは」他人事ではありません。
 
 ずんずんずんずん参道?を上っていきましたが、だんだん心細くなりました。もう、大自然嫌や、という気分です。
修験者たちはどんな思いで山奥を歩いているのでしょうか?わしには山伏の素養はほぼ備わっていないと思います。
 
 10分ぐらいでしょうか?突然視界が開けてまいりました。傍らにある看板には「弁慶の割石」と書かれておりました。弁慶の気合でしょうか、それとも弁慶のな、ぎなた で割れたのでしょうか。自然現象には見えない見事な亀裂です。ところで源平合戦のあった平安時代末期からこの姿なのでしょうか、この岩は?
 
 その上には「胎内くぐり」と名付けられた岩の空間がありました。ここを通って、もう一度生まれ変わった思いで新しく生きるのです。と意気込みは立派ですが、弁慶にせよ、胎内にせよ、筑波山にもあったような。でも、こちらの方が立派です。もう一度おかんのお腹へ戻るのか。新約聖書に登場するニコデモという人に教えてあげたい、ああ。
 
 これが出口です。この写真、病院へ診察を受ける際にいつも撮ってもらった声門に似ている気がするのですが。
わしの癌、もうないよ。
 
 さて、道草が長くなりましたが、ここからが本題です。
足利温泉「パンサラッサのうみ」の意味はこうなんですね。能見さんが経営しているわけではないのですね。たぶん「パンサラッサの海」と言いたいところ、「栃木県には海がないやろ」と突っ込まれそうなのであえてひらがな表記にしたとか、これは勝手な想像ですが。
 それでも地球規模の雄大なロマンを感じます。
 
 というか、今日は天気も悪く写真を撮るような気持にもならず、心ふさいでおりました。
それでも女将さんは親切にお通しのタケノコをふるまって下さり、感謝しております。もっとゆっくりお話もしたかったですね。
 
 
 前回と同じテント浴。薄暗い中で1時間も風呂に使って時間持つのかいな、と言われるかもしれませんが、ホーホケキョなど鳥のさえずりや今日は雨音が風情をもたらし、哲学的な沈思黙考のひと時を与えてくれました。世俗から自我を解放できる貴重な時間を過ごせたこと、またそれができる環境を与えてくださったスタッフの皆様、大好きです。
 本当は帰りに佐野の温泉スタンドによって2缶入れて帰ろうかと思いましたが、佐野行きは中止しました。
秋、冬、春と訪れましたから、次は夏ですね。また、浴らせていただきます。ほんまもんの温泉を味わい、楽しませてくれる、この施設、やっぱ、ええわ。