『流れ星の冬』(1994年)の主人公・葉山は、戦後の混乱期に荒稼ぎした強盗グループ“流星団”の一員でした。


宝石商や高利貸、密輸で儲けた酒屋などをターゲットにし、相手の用心棒などと鉢合わせした時のために、メンバーの志木と塚本はトンプソンのサブマシンガンで武装していました。


(トンプソンM1928 写真はウィキペディアより)

アメリカ、オート・オードナンス・コーポレーション製。
.45ACP弾を使用し、装弾数は20/30発(箱型弾倉)、50/100発(ドラムマガジン)

この銃を設計したのは、元米陸軍武器省大佐のジョン・T・トンプソン。
第一次世界大戦時までのマシンガンといえば、大型で重量が有り、大口径の弾丸を使用するものばかりで、軽機関銃であっても1人で携帯することは難しいものでした。

トンプソン氏は“1人でも携帯できるマシンガン”を目指し、ブリッシュロック機構という動作方式を採用したアサルトライフル(自動小銃)の制作に取り組みました。

しかし試作された自動小銃(トンプソン銃)は作動不良や給弾不良が多く、最終的にブリッシュロック機構にはコルトM1911A1(軍用コルト)と同じ拳銃弾.45ACPを使用することて最も安定した動作を得るという結論に達します。

トンプソン氏はこの試作銃をさらにコンパクトかつ軽量となる改良を加え、1919年にベルト給弾式をドラムマガジンに変更し、脱着式フォアグリップを備えた試作銃を製作。
世界初の拳銃弾を使用する機関銃を「トンプソンサブマシンガン」と命名。「サブマシンガン」という聞き慣れない言葉とは別に「トミーガン」という愛称も商標登録しました。


(トンプソンM1921)

1921年、初の市販品となる「M1921」を発表。自社工場を持たないオート・オードナンス・コーポレーションは、M1921の量産をコルト社に委託します。

しかし大戦後ということもあり、軍には一部の部隊に導入されたのみで、正式採用には至りませんでした。


頑丈でトラブルが少なく、現代のサブマシンガンに比べれば重いですが(重量約4.9Kg)、1人でも携帯可能なこの銃を有名にしたのは“シカゴマフィア”でした。


対抗するかのようにFBIもM1921を導入。禁酒法時代(1920〜1933年)には、警察とマフィアの双方がトンプソンサブマシンガンを使用していたことが、マシンガン=トンプソンというイメージが定着させます。


その後はさまざまな派生モデルが誕生。


「M1927」 

フルオート機能を廃止し、セミオートオンリーにしたもの。同時期に100連ドラムマガジンも販売も始めました。


「M1928」

フルオート時の反動で銃をコントロールできずに誤射を生むことが無いよう、1,200発/分の連射能力を600発まで落としたもの。アメリカ海軍、イギリス、フランス、スウェーデン軍に導入されました。

また、箱型弾倉を標準装備とした「M1928A1」はアメリカ陸軍に導入され、第二次世界大戦で使用されました。


「M1/M1A1」
大戦において大量導入する目的で省コスト化され、操作性を向上させたモデル。
作動方式がブリッシュロックからシンプルブローバック方式に変更されました。

(M1/M1A1モデル)


M1/M1A1モデルはアメリカ軍に180万丁納入されましたが、1944年納入分を最後に終了します。


日本では第二次世界大戦前の1930年頃からトンプソンサブマシンガンが海軍で使用されていて、対戦時は陸軍も使用していました。

終戦後にはアメリカから警察予備隊や保安隊、自衛隊に支給され、自衛隊では年々数は減ったものの、1990年代まで使用されていたといいます。


『流れ星の冬』の流星団が使用したモデルは、その支給品が闇市場に流れたものではないかと思います。



オート・オードナンス・コーポレーションは、対戦末期にライバル会社に買収されてさしまい、トンプソンサブマシンガンの製造権はさまざまな企業や投資家の間を渡り歩くことになります。


1970年にようやくオート・オードナンス・コーポレーションが復活。FBIなどへの官給品や民間用セミオートモデルの製造が再開されます。

FBIの正式拳銃の変更に伴い、使用弾を.45ACPから10mmオート弾や.40S&W弾用に仕様変更しましたが、その製造は現在も続いています。