『六本木聖者伝説  魔都委員会篇』(1990年)で、主人公・橋詰海人の父が建てた別荘を改造した、六本木を“守る側のアジトがあり、『爆身』(2018年)で、事件の鍵となる宗教団体、結跏社の教祖・初井功が入院している安息会病院があった場所。


(上空から見た城ヶ島。写真や地図は全てウィキペディアより)



城ヶ島は神奈川県の三浦半島最南端に位置する、神奈川県最大の自然島。

面積は0.99K㎡(東西幅1.8km、南北幅0.6km)行政区分は神奈川県三浦市。

対岸の三崎市との距離は約500mで、かつては渡舟で行き来していましたが、1960(昭和35)年に城ヶ島大橋が開通。島へ渡る唯一の道路として有料でしたが、2020年より無料で行き来できるようになりました。


(城ヶ島大橋)

黒潮の影響で冬でも暖かい太平洋岸気候であり、海から強い風が吹いた際も島の大半を占める標高30mほどの台地が防波堤の役割をはたすため、島の北側や対岸の三崎市側は1年を通じて穏やかで過ごしやすく、弥生時代から漁業が行われていました。


鎌倉時代からは観光地としても利用され、源頼朝が城ヶ島北岸と対岸の三崎市側に大量の桜の樹を植え、海に浮かべた舟から両岸に咲く桜を楽しんだといわれています。


近代では詩人の北原白秋が1913年から1914年の間、城ヶ島の対岸である三崎町に住んでいて、三崎や城ヶ島の詩歌を残しています。


中でも『城ヶ島の雨』は白秋の詩で初めて付曲された作品で、レコードがヒット。

城ヶ島は若い男女の憧れの地となり、全国から観光客が訪れるようになりました。




(『城ヶ島の雨』の歌碑)


島の様相は北(三浦半島側)と南(太平洋側)で大きく異なります。


北側は城ヶ島大橋を境にした東側に水産研究所や大型造船所があり、大正末期から太平洋戦争終戦まで砲台が設置されていた場所は「城ヶ島公園」として整備されています。


橋の西側は漁港や水産加工所、民宿や土産物店と島民(約200世帯600人)の生活エリアが広がっています。橋詰家の別荘や安息会病院はこちらのエリアにあったと思われます。

ただし現在の砂浜の大半は埋め立て整備によるもので、古来の自然海岸はごくわずかになっています。



一方の島の南側は隆起した台地が大半であり、所々に砂浜があるものの島の端の大半は切り立った崖になっていて、東西を結ぶハイキングコースや灯台を除けば人工物はほとんどない自然の姿を残しています。 


(南側のハイキングコース)

そのため神奈川県の指定天然記念物であるウミウ・ヒメウ・クロサギの繁殖地となっていて、その姿を眺めることができます。


(ウミウなどの生息地)

(島南の赤羽根崎より西側の長津呂崎を望む。伊豆半島や富士山も見えます)



2016年、島の東側・城ヶ島公園にある阿波崎(あわさき)灯台と西側の城ヶ島灯台の2つが、一般社団法人日本ロマンチスト協会と日本財団が共同で実施するプロジェクト「恋する灯台」に認定されました。


(2020年に建て替えられた阿波崎灯台。野菜スティックをイメージしています)

(日本で5番目に建てられた洋式灯台、城ヶ島灯台)

阿波崎灯台は朝日が、城ヶ島灯台は夕日が美しいインスタ映えスポットとして有名で、カップルのデートコースやプロポーズの場所として愛されています。