『魔女の笑窪』(2006年)

同タイトルの第一章で、主人公・水原の友人、風俗嬢のみづえが何者かに殺され、水原はみづえの客であった漫才師のケンイチをマークします。

ケンイチの愛車は黒のNSXでした。


日本、本田技研工業製。

2人乗りの2ドアクーペ。


(NSX  na-1型。写真は全てウィキペディアより)

F1レースが大ブームであった1980年代、エンジン開発に携わっていたホンダが、「世界に誇るのHONDAの顔を持ちたい」と開発した車で、Newの「N」Sportsの「S」未知数を表した「X」から名付けられました。


1989年に発表されたプロトタイプでは「NS‐X」とハイフン有りでしたが、1990年の一般発売時には「NSX」となり、以後2005年の販売終了までの16年間、一度もフルモデルチェンジされることはありませんでした。それだけ完成度の高いモデルであったといえます。



V型6気筒DOHCの3.0L(na-1型)または3.2L(na-2型)のエンジンを、運転席後方に設置して後輪を可動させる“ミッドシップリアドライブ”方式で、市販車では世界初となる「オールアルミモノコック(車体の骨組みの代わりに、外板に加工をして強度を持たせる)ボディ」を採用。そのため機械を使用した流れ作業てはなく、手作業でボディ組み立てるという特殊な車種となりました。


また、外国のスポーツカーが車の構造やデザインを優先してキツい運転姿勢や貧弱な環境装備であったことに対し、NSXは広い車内や前方311°という広い視界が確保されていました。


(NSX  na-2形 )

価格は800万円(AT車は+60万円)
オプションを選択したりユーザーカスタマイズをすると900〜1,500万円とイタリアのスーパーカー並みの価格となりましたが、時はバブル絶頂期。1日25台の製造がマックスであるNSXにオーダーが殺到、初期は納車まで3年待ちの状態となり、プレミア価格が付いた中古車が新車価格より高く売買される事態となりました。
ホンダは工員を増やして1日50台の製造体制を整えますが、1991年にはバブルが崩壊。
今度はキャンセルが殺到したといいます。

NSXは発売期間の16年間に何度かマイナーチェンジを行いながら「日本一高いスポーツカー」という存在であり続けましたが、国内で販売された7,415台中、6,000台余りが1991年までに製造された初期モデルであったそうです。


短編集である『魔女の笑窪』のファーストエピソードが発表されたのは1997年なので、ケンイチのNSXは初期のna-1型かna-2型、1992年に追加されたグレードのタイプRのいづれかかと思われます。

(NSX タイプR)

ケンイチはよほどのカーマニアか見栄っ張りだったのか… 物語のラスト、ケンイチのNSXは水原にガソリンタンクにマカロフの銃弾を撃ち込まれ、炎上してしまいます。

あぁ、もったいない…