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『雪蛍』(1999年)の主人公・佐久間公は、清水市にある薬物中毒者更生施設のアドバイザー。
その施設に入所した際、自らを「ホタル」と名乗った以外は頑なに心を閉ざす若者。
彼はトルエン中毒者で、自宅に火を放って両親を死亡させた疑いを持たれていました。
同じ入所者との間でトラブルを起こしたホタルは、施設をとび出し行方不明となります。
ホタルを探す公は、彼を施設に入れた腹違いの妹・麻里から、彼女が父親に慰み者にされていたこと、ホタルに「家を燃やして欲しい」と話していたことを知ります。
麻里に案内され、焼け落ちた家の跡地に向かう、公。そこにはホタルが膝を抱えて座っていました。
◆◆◆
「お前は麻里さんを助けたかったが、助けられなかった。火事はお前が原因なのではなく、酔って帰った母親の寝煙草が本当の原因だった。だからお前は麻里さんに手を触れなかった。といって、麻里さんにそれを知られるのが嫌だった。知られたら、麻里さんとお前は“共犯”じゃなくなる。麻里さんはいつでもお前を捨てられる。だからお前は、麻里さんに犯人のふりをしなければならなかった」
「……麻里に話したのか」
「いいや」
私は首を振った。
「ホタル、受け入れろ。麻里さんを女として好きでいることは、お前を傷つけるし苦しめるだけだ。家族を否定しても、麻里さんはお前のものにはならない。でも、お前が実は犯人ではなかったということがわかっても、麻里さんはお前を捨てない。兄として、お前に対して気持ちをもちつづける」
「……麻里は俺を捨てるよ」
泣き声でホタルはいった。
「恐れるな。話してみるんだ」
「ひとりぼっちなんだよ、麻里がいなくなったら」
私は目を閉じた。鼻の奥が熱くなった。
車の音がした。不安げな表情を浮かべた麻里がそろそろとアウディを路地に進入させてきたのだった。
「いけ」
私はいった。
ホタルは両腕をだらりと垂らしたまま、アウディの正面に立った。無言で麻里と見つめ合った。
麻里が運転席のドアを開いた。
「ーー麻里」
「何」
麻里の声は固かった。
「俺はやってない。やる勇気がなかった。嘘だった。自分ん゙家に火がつけられなかった。火事は、偶然なんだ」
「ーー本当に」
麻里はささやくようにいった。
「本当だ。でも、それをいうと、麻里が、俺から離れてくって、ずっと思ってた」
「ーーなぜ」
「俺は、お前に何の貸しもない。お前は好きにできる」
麻里は小さく首をふった。
「お兄ちゃんがいなかったら、わたしはひとりぼっちなのよ」
ホタルは息を呑み、麻里と初めて視線を合わせた。
「俺たちは本当の兄妹じゃない」
「でもお兄ちゃんだわ。わたしが何かあったとき、真っ先に駆けつけてくれる人はお兄ちゃんしかいない」
「今は、な」
ホタルは寂しげにいった。
「そう?わたしに恋人ができて、お兄ちゃんに恋人ができて、でもお兄ちゃんとわたしの関係は消えないでしょう」
「なんでそんなに優しいんだよ」
麻里は微笑んだ。目に涙がにじんでいた。
「だって、お兄ちゃん、わたしに優しくしてくれたもの。あの家の中でわたしにいちばん優しかったのは、お兄ちゃんだっだもの」
ホタルの体から張りつめていたものが消えるのを私は見た。ホタルは目を閉じた。
鼻声でいった。
「お兄ちゃん、清水に帰るわ」
麻里は頷いた。
「そうして……。待ってるから……」
◆◆◆(一部略あり)