数々の修羅場をくぐり抜けてきた佐久間公ですが、中でも最大の危機は『漂泊の街角』(1985年)収録の短編作『悪い夢』でした。


公は、資産家の娘で不幸な出来事から心を壊してしまった女性に拳銃で撃たれ、全く身動きのできない状態のまま監禁されてしまいます。

その女性、伊東晶子の愛車が白のキャデラック・エルドラドでした。



アメリカ、ゼネラルモーターズ社製。

GMの高級車製造部門であるキャデラックが、スペイン語の「エルドラード(黄金の)」の短縮語を名に付けた最高級車。


1952年から2002年までの半世紀、12代に渡って製造されたエルドラド。

大沢在昌さんの作家デビューと同じ1979年には、10代目モデルが発表されました。


(エルドラド1979 写真は全てウィキペディアより)


先代と同じプラットフォームであるEボディを使用した2ドアクーペで、全長5,194mmと前代より500mm近くコンパクトに(それでも現行のトヨタ・レクサスのSUVより大きい)なったことが特徴。


また、この10代目モデルはエルドラド史上もっとも販売台数が多いモデルであり、1979モデルは約67,000台、1980モデルが約52,000台、1981モデルが約60,000台の総販売台数を記録しています。


先代モデルも充分現役の時代ですが、上記の理由で伊東晶子の愛車は10 代目モデルではないかと思います。



このモデルはガソリンV8エンジン3タイプとディーゼルV8エンジン1種類(オプション)、そしてキャデラック史上初となるビュイック社提供のV6エンジンタイプが発売されました。


デザイン面ではリア部に独立サスペンション(悪路走行時に同車軸のタイヤが別々に上下する)を初採用し、後部席やトランクルームを狭くせずに全長をコンパクト化。8代目モデルから続くフレームレス ドアガラスとリアクォーターガラスを継承しました。


内装では速度・燃料・時計・ラジオを電子表示する“キャデラックトリップコンピューター”を導入しましたが、コスト高のため、1980年モデルには導入されず、1981年からはオプションとなりました。


1983年には外観のマイナーチェンジ。

作品に登場したのは、この1983モデルまでのいずれかでしょう。


(エルドラド1983)


その後も何度かマイナーチェンジを繰り返したエルドラド。

1984年にはコンバーチブルモデルが加わり、この年はクーペ74,500台、コンバーチブル3,300台の歴代最高、GM社全体の年間総生産台数の4分の1を占める大ヒットを記録しています。

 

現在の日本で外車といえば、ドイツやイタリアの車が目立ちますが、バブル前夜ともいえるこの時代は、アメリカに強い憧れとコンプレックスがありました。


それでもアメ車に乗った日本人女性は珍しかったかも…