どーも
今日はまたひとつ勉強になる話を聞きました。
「どもり」って、ありますよね。
昔店長だった頃アルバイトの面接に来た子が極度の「どもり」がある子で、
おそらく日常生活にも支障が有るくらいのどもりでした。
この子、過去になにかあったのかな、なんて思うくらいです。
現在も、一緒に働く人の中に「どもり」のある方がいるのですが、
この方は原因がはっきりしているそうです。
幼い頃、町内の人が近くの池で入水したそうで、
いわゆる「どざえもん」を興味本位で見てしまい、
強烈なショックを受け、その後、記憶がまったくなく、
気付いたらどもりのある子供になっていたそうです。
心理的なショックとどもりの関係性はまだ明らかになっていないようですが、
事実、幼少期の恐怖体験や、極度のストレスによりどもりを発症するケースはとても多いようです。
人間は、極度の恐怖やストレスを記憶すると、その記憶を消し去る能力を備えています。
思い出すと、心理的によくない記憶は、「なかったこと」にしようとして、消し去ります。
僕はそれを「心のタンス」と呼んでいます。
心のタンスは、決して人に見られてはいけないものです。
また、他人の心のタンスは見てはいけないものです。
僕は一度、人の心のタンスを覗いてしまったことがあります。
そのとき、彼の顔はみるみるうちに青ざめ、体は小刻みに震え、
「しまった!」と思ったときにはもう遅く、彼は混乱状態になってしまいました。
そして、僕にもまったく「思いだせない記憶」が心のタンスにしまってありますが、
心のタンスには鍵がかかっていて、本人でも中身を見ることができないようになっています。
全て、実体験の中で学んだ心理学です。
僕や彼だけでなく、あの子も心のタンスに過去を秘め、もはやはちきれそうになっていました。
「誰もが心にタンスを持っているもんなんだよ」
その一言で、あの子は泣き崩れました。
誰もが、秘密をもっています。
でも、その秘密の入ったタンスは、自分で開けようと思えば開ける事ができます。
でも、心のタンスは、決して自分では開けることができません。
催眠療法など、他人の力を借りて、自分の意識外のところからアクセスしなければ決して開きません。
僕の心のタンスに入っているものは、そんなに重たいものではないし、
たぶん何かのきっかけで開いたとしても受け入れることができるでしょう。
しかし、心のタンスがまだ小さい幼少期に、おさまりきらないほどのトラウマを抱えてしまうと、
タンスから悪魔の記憶が少し頭を出した状態になり、常に心のどこかを蝕む。
「普通」であろうとする自分の足を引っ張る悪魔の存在を、心の奥底では知ってしまっているので、
表情や行動、言葉に現れてくる。
「どもり」も、その一部なのかもしれません。
「こころ」に関しては、学べば学ぶほど、人間の精密さを知ることができます。
精密ゆえ、脆い。
そして案外シンプル。
僕は独学ですが、心理学を学び、「人の心に触れる方法」やまったく逆の「人の心を壊す方法」
を見つけた気がしました。
そして、それをムダに多用し、自分の力を試した時期もありました。
専門的に学んだ人などはもっともっと簡単に、人の心を壊したり、人の心に入ったりできるでしょう。
だからこそ、心理に強い人の前に出るときは、とてもとても慎重になります。
よほど自分を強く持って接しないと、心をもてあそばれる事になりかねません。
それは仕事でもそうです。
心理に強い人との交渉では最初から向こうが有利になれる座り方、話し方、立ち振る舞いを細かく用意して、網目のように仕掛けをめぐらされているわけですから、
不用意に飛び込んでは負けるのは目に見えています。
あ、
といっても
常に相手の心理を考えたりどうこうしてるわけではないですよ
確かに、昔の僕は「心理」を重視して、「相手の心」を攻めることを考えて戦っていました。
でも今は世の中の「真理」を重視して、「相手の事」を考えて生きています
こうやって書くとなんか堅苦しいですが、
今の生活でいえば、
畑に出れば野菜のことを考え、「俺が人参だったら固い土だったらひねくれて育つだろうな」とか、
家庭で言えば、「俺が嫁さんの立場だったら今の言葉は嬉しくないな。あやまろう、きちんと伝えよう」とか、
野菜を販売するときは「俺がお客様だったら、このタマネギは避けるな。もう一枚皮をむいて、ゴミが少なく、使いやすいようにキレイにしておくか」とか、
そういう事を考えています
相手の心を考えて、攻め込むと、後に苦いような罪悪感が残ります。
そんな力を駆使していた頃、確かに金は入ってくるし、力はつくし、何事もうまくいく。
でも、やっぱりどこか「黒い時代」
だからもうキレイサッパリそんなことで戦っていくのは辞めました
相手の気持ちを、立場を真っ直ぐ考えていく。
結局、互いにハッピーになるにはそっちのがぜーーーーったいいいんです
「こころ」
奥が深すぎて僕にはまだまだわからないことだらけですが、
真剣になって誰かのことを考えることはいつでもできること。
常に心に余裕を持って、未来を恐れず、溢れんばかりの希望と情熱を持ち、
そしてその情熱の日を最期のその日まで絶やすことなく生きていきたい。
「本当にこの先農業で生きていけるのか?」
こいつは新規就農者、いや、僕につきまとう悩みです。
今歩む道はすごい遠回りかもしれないし、ムダも多いかもしれない、
結果、なにもできずに全てを捨てるときがくるのかもしれない。
と、思っちゃう夜もある
でも、まだはじまってすらないんだから。
らしくやるだけ。
壊せるもんは壊して、かませるとこでかます。
自分を信じて
もう12時半か。
明日も元気に出荷しよう
おやすみなさい