どーも
今日は朝から畑でゴソゴソ。
ニンジンの畝の肩をくずしたり、堆肥をまいたり、
ゆーっくりと軽トラを走らせて地元の農業地帯で、どこで何をやっているのか見学したり。
それから草取りをしたり
一日かけてひたすら除草。
山ができました。
山ができるとは情けない、そう思うべきです。
反省。
昼ごろに軽トラのリヤガラスにスモークフィルムでも貼ろうと思い、
自転車でぶらぶらと実家までフィルムを取りにいきました。
すると、家の前で懐かしい人と遭遇。
「先輩」が大嫌いな私が「先輩」と素直に思えた唯一といっていい人。
呼び名もずばり「先輩」。
年齢は不詳。たぶん15くらい上で、出会った頃には奥さんも子供もいました。
本物の昭和の不良、「漢」と書いて「男」。
私が15、6の頃、色々なことを教えてもらいました。
「単車単車っていうけど、どうせ免許ないんだろ?バイクに乗りたいんなら人に迷惑かけないように乗る方法もあるんだぞ」
そういって、ナンバーの無いスポーツ用のバイクやと私と友人をトラックの荷台に載せ、
「ここなら誰にも迷惑かからないから好きなだけ遊べ」と堤防に連れて行ってくれました
そして、四輪バギーで遊びに夜の海に行った帰りの車で、
「昔なぁ、ある女をかくまったことで抗争になって事務所に連れていかれたんだ。
確実に殺されると思ったときに、『どうせ死ぬんだから最後に電話の一本くらいさせてくれ』って言って、真っ先に思い浮かんだのがずっと一緒にバカやってきたツレだった。
そいつに電話をするととにかく全速力で動いてくれて、
どういう風にしたかは知らないけど別の組織から圧力をかけてくれた。
おかげで命拾いしたんだ。
持つべきものはここぞという時に自分のために全てをかけてくれる、そういう友達だと俺は思う。」
マンガでもドラマでもない、本当の不良のストーリーを聞かせてくれました
当時、年上だろうがなんだろうが誰の事も先輩と思ったことなかった私も、
素直に、「先輩ってほんとかっけーよな」
と、いつも友人と話していました。
そんな人にばったり会ったのです
ひさしぶりですっと声をかけると、
「おおっ、久しぶり・・・しかし・・・オマエずいぶん変わったなぁ
」
となんとなく悲しいセリフ。
「しかし、先輩、かっこいいトライク乗ってますねー」
「お、見たか?今度乗りにこいよこいこい
」
「自分3輪なのにコケそうだから乗るのはマズイです・・・」
そんなこんなで先輩と別れ、なんだか「変わった」と言われた事が悔しい気がしました。
あれからもう10年経ったのですから、自分も確かにかなり変わりました。
社会に出て、結婚したし、子供もできたし、10年の歳月は人を変えます。
でも、なんか悔しい
先輩は色褪せず、相変わらずのガタイの良さと風貌。
それがまた悔しい。
バシっと髪でも切って肉体改造してやるっ
これからも自分のペースでトレーニングしていこうっ
長くなりましたので今日はもう一つ書きます
それではありがとうございました