どーも
今日は嫁のお父さんの誕生日祝い 兼 忘年会ということで夜はごはんを食べに行きました
うちの子ももうすぐ生まれて半年。
表情豊かになり、意思を持って行動するようになってきました
私が今までの人生で一番と言っていいほど大事にしてきたこと、
それは
「好奇心」です。
これをしたらどうなるか、あれはなんだろう、ここはどこだろう、
極力、人が避けて通りそうな道を通り、人がやらないようなことをやるようにしてきました。
時にはそれがマニアックすぎたり、時にはそれが人が言う不良だったり、色々な表情の道だったと思います。
でも根底はただひとつ、好奇心からくる「経験したい」
その一心です。
当然まだまだ経験できてないことばっかです。
全然足りないし、もう経験できる時期をすぎてしまっていることもあります。
自家ジェットで世界一周して全国各地に50人の嫁と150人の子供がいるなんてこともできていないですし、
一ヶ月公園で寝泊りして、ゴミ箱の中の弁当の食べ残しをあさったこともないです。
そういう意味では本当に庶民の域を出ていません。
ただ、自分が得たかった「経験」は
「自分の子供に実体験を元にした話しかしたくない」というところが原点ですので、
庶民的でも、それが大事なんです。
「人を殴ってはいけない」と子供を叱るとき、
「物を盗んではいけない」と子供を叱るとき、
「なんで?」と聞かれたときに、自分の体験で得てきたことだけを伝えたいんです。
自分の子供も、
例えば誰かを傷つけた時の気持ち、その後に起きたこと、傷つけられたときの気持ち、傷つけられたあとの気持ち、
様々な感情を体験して、育っていくと思います。
そんな中、悩み苦しみ、答えを出すために誰かに背中を押して欲しいときがくると思います。
そのときに「やっぱ親父はなんでも知ってるわ」と思わせるような経験から得たヒントを伝えたいと思っています。
☆-☆-☆
子供の頃、近くのたばこ屋に行くと、店番がいませんでした。
でもタバコは全部ショーケースに並んで置いてあります。
毎日一緒にいた友人と、「たばこ盗り放題じゃん!」と大喜びで、
「これからは一生たばこ代かかんないなぁ」なんてはしゃいでました。
そしてある日、またタバコを盗りにお店に行き物色していると、
しばらくして奥からおばあちゃんがゆっくりと顔を出しこちらに歩いてきました。
「ごめんねぇ、気づかなくて!今日は何の用だった?」
そう声をかけられた時、
私も、友人も無言で店を飛び出ました。
その後は何事もなかったように遊びにでかけ、また別のある日。
友人に、
「・・・タバコ盗りに行く?」
そう私が問いかけると、
「・・・俺・・・あのおばあちゃん見ちゃったから・・・悪いけどもう盗めないわ」
と恥ずかしそうに答えてくれました。
その時、なぜかコイツとは一生友達でいたいと思いました。
「やっぱり!?じゃあ今までのこと謝りに行こうか!」
そして二人でおばあちゃんのところに行きました。
おばあちゃんは優しく迎えてくれました。
一人暮らしをしているようですが、「タバコ屋はもう辞めてこっちに来い」と名古屋の息子のところに呼ばれているということでした。
そこからは暇を見つけてはできる限り多くの友達を集めておばあちゃんのところに行き、
にぎやかに騒いだり、せんべいなどのお菓子を食べてお茶を飲んだり、おばあちゃんの昔の話を聞いたり・・・
いつも「あんた達は本当にいい仲間だね。みんないいこだ。」と褒めてくれました。
同じ場所に行くときの声かけが、
「タバコ盗りに行く?」から「おばあちゃんに会いにいこうよ」に変わったんです。
ちょっとした事がきっかけで、そこに行く目的が180度変わることもあるんですね
今そのタバコ屋さんはもうありません。
おばあちゃんは名古屋の息子さんのところに行きました。
でもあの経験は自分の心に一生残ることでしょう。
物を盗んではいけない、本当の友達とは、お年寄りを大事にしよう、そんな話を息子にする時期がきたら、
この話をしたいなぁと思います
その時の友人達とは、当然今も変わらず一緒にいます。
私も含め何人かは親になり、次は子供同士がまた新たな経験を一緒に積んでいってくれたら嬉しいなと思います。
「お父さんはお前が生まれたとき仕事してなかったんだぞー!そんで学校行って農業のこと勉強してた!
人生なんとかなるもんだからお前も好きなことやれよ。
自分で責任背負えることならやりたいようにやれよ」
そんな話もしたいと思います
今日もありがとうございました