端宗 (タンジョン)【改訂版】。 | 咲くやこの花のキラキラパラダイス

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叔父に殺された幼王


👑 わずか12歳で即位

文宗  (ムンジョン)  の世子時代の1441年に誕生。名は弘ウィ  (ホンウィ / 日へんに韋) 。出産後すぐに母の権氏  (クォンシ / 文宗即位後に顕徳)王后  / ヒョンドクワンフに追尊)  が他界し、世宗の側室・恵嬪楊氏  (ヘビンヤンシ)  の下で育つ。8歳になると、王世孫に冊立される。朝鮮王朝初の王世孫を世宗は溺愛した。1450年、父の即位とともに、世子に冊立。臨終前に文宗は、皇甫仁  (ファンホ·イン)  、金宗瑞  (キム·ジョンソ)  に世子を補佐するよう言い残した。

1452年、12歳で第6㈹王に即位する。世宗が絶賛するほど利発だったとはいえ、国政を一人で担えるはずがない。金宗瑞が摂政を行い、王の重要な仕事である人事に関しても候補者名簿をあらかじめ大臣がチェック、ふさわしい人物に付けられた黄色の上にただ点を打つ  (黄票政事 /  ファンピョジョンサ)  など、形式的に決済するだけだった。宰相の権力増大を危惧した首陽大君  (スヤンテグン)  は、自らが王族代表として端宗の側近を務めるべきだと主張。一方、そんな首陽大君をけん制し、安平大君  (アンピョンテグン)  を中心とする勢力も端宗を庇護しようと動き始めた。 

こうして勢力争いは、1453年10月にクーデター  (癸酉靖難 /  ケユジョンナン)  に発展した。首陽大君が政敵を次々と殺害し、自ら領議政  (ヨンイジョン)  になって国政を牛耳った。端宗は名ばかりの王となり、癸酉靖難以降の1453年から1455年まで首陽大君が摂政を行った。1454年、1歳年上の定順王后宋氏  (チョンスンワンフソンシ)  を妻に迎えるが、同年、世宗の六男・錦城大君  (クムソンテグン)  ら残りの側近が流刑にされ、端宗も譲位すべきという声が高まる。翌年、首陽大君に王位を譲り、上王   (サンワン)  に退いた。


👑  復位計画失敗で死亡

世祖  (セジョ)  が即位した翌1456年、成三問  (ソンサンムン)  らが端宗復位を画策していたことが発覚。 1457年、端宗は魯山君  (ノサングン)  に降等。江原道寧越  (カンウォンドヨンウォル)  に流される。その後、再び錦城大君が端宗復位事件を起こし、錦城大君は賜死。端宗を生かしておくべきではないとの遺言を受け、世祖は死薬を届けさせ、1457年10月、17歳で死亡。死薬を飲まず、自害したという説もある。27人の朝鮮王の中で最も短命だった。


捨てられた遺体を、寧越戸長の厳興道  (オム·フンド)  がこっそりと山中に埋葬。11代中宗  (チュンジョン)  代にその陵墓が発見された。19代粛宗   (スクチョン)  代の1698年に復位。この時、か “ 端宗 ” の廟号が与えられ、墓名も荘陵  (チャンヌン)  に改められた。墓前には文人石と武人石を置くのが一般的だが、刀を持つ者に王位を奪われたとして、文人石だけが建つ。毎年寒食  (冬至の翌日から数えて105日目)  の日に祭祀が行われてきたが、現在は端宗文化祭という寧越の一大イベントになっている。ソウルから最も遠い王陵でもある。


👑 端宗の妃・定順王后のその後
流刑地の寧越で夫が死んだと聞かされた定順王后は、朝晩岩山に上り、寧越に向かって泣き叫んだ。ソウル市鍾路区にあるこの山を、21代英祖  (ヨンジョ)  か「東望峰  (トンマンボン)」と名付けている。庶人になった定順王后を、世祖は女僧房の浄業院   (チョンオボン)  に入れた。定順王后はそこで染色業を営みながら困窮な生活を送る。それを知った朝廷が家を建て住まわそうとしたが、最後まで拒絶した。82歳で死亡。京畿道南楊州市  (キョンギドナミャンジュシ)  に埋葬された。墓は、復位後、夫を思い続けたという意味の “思陵  (サルン)” と名付けられた。

👑 悲しみの歴史刻む寧越郡清冷浦
端宗の清冷浦  (チョンリョンポ)  は、三面を川に囲まれ、南側が絶壁の陸の孤島だ。ここの樹齢600年を数える観音松には、端宗が腰掛けたという伝説があり、端宗の姿を見て  (=観)  、泣き声を聞いた  (=音)  ことからこの名が付いた。無念の死を遂げた若き王は、巫俗  (ふぞく /  朝鮮の土着信仰)  で「魯山君之神」として祀られている。



より引用させて頂きました。









■ 家族



■ 端宗が登場する作品



■ 脚注





越寧郡  →  流刑地・清冷 浦が所在する。






■ 墓所=荘陵。





































■ 正室

定順王后宋氏 















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