神懿王后韓氏(シヌィワンフハンシ)と神徳王后康氏(シンドクワンフカンシ)。 | 咲くやこの花のキラキラパラダイス

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朝鮮王朝初代国王・太祖(テジョ)こと李  成桂(イ・ソンゲ)の妻たちについて語りたいと思います。



■ 第1継妃(ケビ)。


神徳王后康氏 


神徳王后康氏 


神徳王后康氏




■ 配偶者(夫)。










■ 李  成桂(イ・ソンゲ)が建国した国。









実は太宗(テジョン)こと李芳遠(イ・バンウォン)の母は神徳王后康氏(シンドクワンフカンシ)ではなく神懿王后韓氏(シヌィワンフハンシ)。太祖(テジョ)こと李成桂(イ・ソンゲ)の最初の妻である。こんな逸話も残されている位に芳遠は、義母を嫌い、もしかして恨んでいたかも。



 ドラマ『馬医』の中でチニョンの台詞に『廣通橋(クァントギョ)のヨンダル・・・』があったのを覚えていらっしゃっるだろうか!?

その廣通橋(クァントギョ)には恐ろしい逸話が伝わり、数百年を経た現代まで韓国の首都ソウルの中心にその姿が残されているのだそうだ。








■太宗(テジョ)の実母(生母)。



私たちから見れば罰当たりな事をしていると思いますが、太宗(テジョン)の恨みはそれだけ根深かったのですね。


■ ここで朝鮮王朝の王陵について述べさせて頂きます。




残念ながらこのような経緯で神懿王后韓氏(シヌィワンフハンシ)のお墓は拝観させて頂く事は出来ません。







探し抜いてやっとこれだけ。
北朝鮮の開城(朝鮮開国当時は開京)に現存しているそうです。







■ 太祖(テジョ)の妻と子どもたち。





太祖(テジョ)は正室・後宮合わせて6人の夫人との間に8男5女をもうけた。しかし2度にわたる『王子の乱』で血で血を洗う後継者争いを繰り広げた事は有名である。