景宗(キョンジョン)、そして英祖(ヨンジョ)。 | 咲くやこの花のキラキラパラダイス

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いきなり英祖(王世弟・延ニン君時代)

継妃(上記の手紙を送った相手の娘)は王に楯を突き、そして餓死をした。


死後は夫とともにソウル市内に所在するウィ陵に眠っている。


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最初の妃の墓・惠陵は東九陵にある単陵である。


景宗と第1継妃が眠るウィ陵。
正祖の王としての最初の仕事がこの陵の造成だったという(系図から見れば彼の祖父の異母兄にあたる)。こちらの陵内には長い間かの悪名高きKCIA(大韓民国中央情報部)が居座っていたらしく一般人の出入りは許されず、中で何が起こっているかは知る由もなかったという。今は市民の憩いの場になっている。
 


●朝鮮王陵(文化財朝鮮HPより)スクショさせて頂きました。









朝鮮王陵の中でも2箇所しかない『同原上下陵』と呼ばれる珍しい形式の墓。それは風水地理説に従って造成されたものであろう。


景宗の人となり

父は先代王・粛宗、母はご存知のように『朝鮮王朝三大悪女』の1人に数えられ、賜死を命じられた側室(仁顕王后閔氏の廃妃・追放、復位までの一時期、王妃の座に就いた)であった禧嬪張氏である。


ドラマ『トンイ』より。


延ニン君(異母弟。後の英祖、生母は淑嬪崔氏)とはドラマ同様中が良かったという。しかし英祖は即位前から景宗暗殺のあらぬ疑いをかけられたり、生母の身分が低いと疎まれ、粛宗の子ではないと噂され悩んだという。



宮殿の前で人々が慟哭=哀号(アイゴー)と叫び、拳を打ち付けながら涙を流す様子が目に浮かぶ。


●資料や画像はWikipedia及び他サイト、各トンイ本などをお借りしています。