風水、途中でなぜか朝鮮王朝のお墓の話。 | 咲くやこの花のキラキラパラダイス

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風水(ふうすい)









 

風水学上で言えば凶地に造成されているらしい。その造成を指揮したのは他でもないイ・サンこと正祖である。何かしら2人の確執が見え隠れしているみたいだ。やはり思悼世子の、かの『米びつ事件』が尾を引いて影響しているのかも知れない。

元陵は『東九陵』に所在し、かつて孝宗の寧陵があった場所で、その後、破墓(墓が破壊された所。その時に土の中にいっぱい詰まっている気が逃げてしまうこと)した場所であるという。


英祖。


弘陵


こちらは『西五陵』にあり、英祖は死後、最初の妻の隣に埋葬されることを切に望んでいた。そして妻の陵寝の右を自らの陵寝に定め空けておいた。これを『右虚制』という。そして『英祖実録』にはこのような記述が残されている。

『陵の穴を決め、少し左に寄せ、その右側を空けて正穴にするようにした』(3月1日条)
『山陵都監に命じ弘陵の右側の空いた場所に、祟陵・明陵の例に倣って彫刻に十字に刻み、穴に埋めて目印にするようにした』(5月13日条)

ちなみに明陵には『西五陵』にある英祖の父・粛宗が眠っている。

貞聖王后は英祖が尊敬してやまない女性だったようで(姉さん女房で、初夜の時の『きれいな手』云々の逸話は有名)彼女の臨終に際し『43年間宮殿で暮らしつつ、いつも笑顔で余を迎え、先王の王妃たちに仕え、怠けた姿を見せることがなかった。余の生みの母・淑嬪崔氏の神位を祭るユク祥宮に傾けた誠意もまた限りなかった』と感謝の気持ちを記し『恵敬荘慎康宣恭翼仁徴獻端檬章和貞聖王后』というとてつもなく長い諡号を授けている。

しかし正祖は、祖父が望んだ死後を許さず、凶地である元陵に彼を葬った。しかも墓穴を王気が流れているという10尺まで掘らなかったという。そして後には継妃・貞純王后が追って葬られることになる。

調べて書いている内に、話の内容が風水から朝鮮王朝時代の王陵の話になってしまいました。