プロ野球は残り35~41試合というところまで日程を消化してきた。マラソンに例えると、30Km を過ぎて 35Km になろうかというところ。

パ・リーグはソフトバンクには既にマジック28が点灯し、大差をつけて一人先頭を走っている。もう決まりだ。一方のセ・リーグで私が8月14日までの9連戦で注目していたのは、広島・巨人・阪神の先頭集団がどうバラけるか、それとも団子状態のままで推移するかだったが、結果は以下の通り。

▪広島:5勝3敗1分
▪巨人:5勝3敗1分
▪阪神:3勝6敗

広島の5勝3敗1分は立派な数字だが、巨人も同じ成績で後ろにピッタリ付けている。阪神は失速気味だが、今月末くらいまでに先頭との距離を詰めることができるかどうかだ。昨年は、この時点で阪神が2位以下に大差を付けて一人先頭を走っていたが、今年は広島・巨人の決戦か、それとも広島・巨人・阪神の三つ巴戦になるかは分からないが、最後までもつれそうだ。



先頭集団の首脳は、ここまでは順位がどうこうよりもマラソンで言う 42.195Km を踏まえたペース配分に腐心していたと思うが、お盆後からは互いに駆け引きするようになる。広島が鞭を入れるのは9月に入ってからだろうが、具体的にいつからかは巨人の調子による。いつでも鞭を入れることができるよう戦力を整えておかばければならないが、広島の現況は以下の通りだ。

【投手】先発6人うち、大瀬良は好調を維持。また、玉村は7月30日と8月12日と連続完投し、アドゥワも8月6日にプロ入り初完封をした。反面、九里、床田、森下には疲労が溜まっている。ここで2軍からハッチ、森、遠藤、松本らのうち一人でも二人でも1軍に来て、ローテーションの柱にならずともピンチ先発をやってくれれば、九里や床田の登録を抹消して10日間休養させることできるのだが。

救援陣では黒原、森浦、ハーン、河野、塹江らが頑張っている。その分、島内と栗林に掛かる負荷を軽減してくれている。欲を言えば、ケムナや岡田らが時々は1軍でピンチ救援ができるようになって貰いたいし、矢崎には第二クローザーとして昨年のような活躍をして貰いたいところだ。

【野手】貧打の広島ではあるが、野間と小園がリーグの打撃成績の6位と7位につけている。特に小園はチャンスに強い。また、8月に入って坂倉が本来のバッティングを取り戻し、9打数連続安打して1972年の山本浩司の持つ球団記録に並び、10打席連続で出塁もした。

右の大砲・末包が復帰したことも大きい。彼がチームにいるときの広島は勝率が高くなる。膝の内側半月板負傷で開幕約30日と腿裏肉離れで6月下旬~8月上旬の70日、計約100日もリタイアしていたのに、本塁打の数は坂倉・菊池と並んでチーム最多の7本というのが彼の貢献ぶりを示している。

侍ジャパンの井端監督に評価されて欧州代表との強化試合のメンバーに選出された入団3年目の田村は、末包に続く右の大砲として期待され開幕は1軍だったが、成績が上がらず5月上旬に1軍登録が抹消された。しかし、オールスター後の2軍での後半戦15試合で打率.455と驚愕の成績をあげ、8月14日に再度1軍に登録された。今季の最後の40試合で抜け出すことができるかどうか。

鳴り物入りで入団した中村奨成は 1軍に定着できないままに7年目に入っている。今年台頭しないと並以下の選手になると私は考えているが、8月11日に上がってからの4試合の打率 .294!これはマグレか本物か。

悪い材料としては、代打の切り札のベテラン・松山が全く不調であること。そして、堂林は思いがけないときに打つこともあるが、ココというときにしばしば凡退するという不安定性。

セ・リーグは、中日・阪神戦以外が台風7号のため今日は試合中止になったので、マラソンで言う 35Km は明日から始まることになる。その明日、私は神宮球場のバックネット裏の席から広島・ヤクルト戦を観戦する。

今日は "一応" 終戦記念日である。"一応"と言うのは、それは玉音放送を介して天皇の "戦争を終わらせるご意思" を明らかにした日であって、国際法で言う終戦の日ではないからである。天皇のご意思が国際法的に確認されたのは、日本が降伏文書に調印した1945年(昭和20年)9月2日である(日本の降参)。だが、それも終戦の日ではない。なぜなら、それは「停戦協定」に過ぎないからだ。

国際法上の正式な終戦は「サンフランシスコ講和条約」が発効した1952年(昭和27年)4月28日である。日本の降参後GHQが占領した約7年間は、日本には主権がなかった。条約が発効して日本はやっと主権を取り戻したのだ。だから、その日は日本の「独立回復記念日」なのである。祝日にしてもいいほどの重い意義がある(「海の日」や「山の日」が休日に指定された背景は理解するが、4月28日にはそれらの休日とは比較にならない意義がある)。

やっと取り戻した大切な『主権』であるにも拘わらず、戦後の政治家や外務省などの官僚は近隣諸国との間で波風が立たないように腐心する余り、日本の主権が二の次になることが少なくない。その結果が、韓国の竹島不法占拠、北朝鮮の未解決拉致犯罪、中国の尖閣侵略などだ。中国が日本のEEZ内に勝手に設置したブイを除去しない理由について、外務大臣は理由にもならないことを書いた官僚の作文(答弁書)を読むだけ。噴飯を通り越して呆れるばかりだ。

話が逸れたので元に戻すが、日本は1952年4月28日に独立を回復するまでの間、東京裁判を始め連合国から理不尽な仕打ちを受けた(のみならず、今もなお日本などを "敵国扱い" している現行国連憲章は現在進行形の理不尽な仕打ちである)。しかし、その逆境にあった日本を支持してくてた外国人がいた。それはラダビノド・パル氏とジュニアス・リチャード・ジェイワルダナ氏である。我々日本人は二人の恩人を忘れてはならない。



インドの判事ラダビノド・パル(Justice Radhabinod Pal of India):1946年~1948年の東京裁判で「全日本人被告無罪」を主張し、以下のことを書いている。



同判事の顕彰碑は靖国神社に設置されているものがよく知られているが、他にも京都・霊山護国神社や広島・本照寺などにもある。

セイロン(現スリランカ)の大統領ジュニアス・リチャード・ジェイワルダナ(Junius Richard Jayewardene,  President of the-then Ceylon):1951年のサンフランシスコ講和会議で以下の通り「日本は自由であるべき」と主張した。


 

同大統領の顕彰碑は、鎌倉・高徳院、八王子・雲龍寺、長野・善光寺、愛知県愛西市・明通寺などに設置されている。尚、雲龍寺には "日本の三大恩人" として、ジェイワルダナ大統領の他に、マッカーサーと蒋介石の銅像もあるそうだ。私はマッカーサーについては「う~ん、そうかねえ」だが、蒋介石については「とんでもない」と断じざるを得ない。

先ずマッカーサー。彼の最大の功績は連合国内あった天皇有罪論を抑えて、日本に天皇を残したことだ。しかし、以下から分かる通り、彼が与えたという恩は実は昭和天皇の「徳」から発しているのである。

1945年20年9月27日、「自分は命を差し出すので国民への援助をお願いしたい」という昭和天皇の言葉を聞いたマッカーサーは驚き、「天皇こそ、ノーブレス・オブリージュを実践する真のジェントルマンだ」と感動して天皇を残すことにしたというのが実態だ。詳しくは以下のブログの通り。


見事な対|

https://ameblo.jp/sakugi-no-hito/entry-12828614459.html

次に蒋介石。彼は「以徳報怨」という言葉を弄したが、本音は日本および日本人が台湾や大陸に残した財産、資産、公共施設などゴッソリ召し上げることにあったのだから恩人どころか、追い剥ぎに相当する。詳しくは以下のブログ。

台湾慕情|

https://ameblo.jp/sakugi-no-hito/entry-12177393750.html

パル判事とジェイワルダナ大統領の話に戻す。二人が意識していたかどうかは別として、二人の行動を別の視点から見ると、「日本が1941年~45年の間、英領インドの独立を強力に支援したことへの恩返し」という "構図" が見える。元々は仏教用語の「因果応報」である。

インドは1947年8月15日に英国から独立し、それに連動してセイロンも1948年2月4日に英国から独立したが、その前段で日本はインドの独立を支援したのであった。

支援した意図は、日本の英領マラヤ作戦のひとつとして「シンガポールに難攻不落の要塞を有する英国軍の多くはインド兵だったので、幹部を含むインド兵を英国から離反させること」だった。

そのため、日本軍は捕虜にとった英国軍のインド兵を多数集め、1941年12月31日に反英軍事組織「インド国民軍INA」を編成させた。その最高司令官には独立運動家のスバース・チャンドラ・ボースをもってきた。そして、1943年10月21日シンガポールでボースを首班とする「自由インド仮政府」が樹立される。日本は直ちにこれを「独立インド政府」として国家承認し、自由インド仮政府は米英に宣戦布告した。

最終的には、日本も独立インド政府も英国との戦いに敗れ、更にボースは台北での飛行機事故で死亡したので、独立インド政府がそのまま独立国インドの政府になった訳ではない。しかし、ボースらの思想と行動はインド国民に勇気を与え、ガンディーやネールらのインド国民会議派やインド国民の独立運動に大きな影響を及ぼした。サンフランシスコ講和会議におけるジェイワルダナ大統領の演説文を見れば、それが色濃く出ていることが分かる。

最後に、パル判事に比べてジェイワルダナ大統領は引き合いに出されることが少ない印象があるが、時が移ろい、人々は次第に二人の名前を忘れていくだろう。それは避け得ないとしても、顕彰碑はそれを思い出す、もしくは新たに学習するよすがとなろう。

 

清少納言もすなる随筆といふものを、我もしてみむとてするなり。そは暑きある日のことなり。

夏は軒先の風鈴。庭先のししおどしの

音もなほ。井戸水で冷やしたる西瓜も

うまし。また、野にありては稲穂そよ

ぐはいと心地よし。

少しでも涼しい気分になればと思い、子どもの頃の涼やかなる心象風景を古文調に書き始めたものの、もう後が続かない。高校の古文の授業程度では古語のボキャブラリーが少ない上に、この暑さではノスタルジーなどもうどうでもいい。風鈴やししおどしどころではない。もう何十年もスイカを水で冷やしたことはないが、冷蔵庫に慣れてしまった今日では、水で冷やした程度では "生ぬるい" のではあるまいか。結局、ガンガン冷房をかけ扇風機を回してボケッとしている。

日本のみならず、程度の差はあれど今では多くの国で冷房を使う。住宅だけでなく、あらゆる商業ビルが屋内を冷やす。また、コンピューターを始めとする電子回路の発熱量は凄いもので(まずい機構設計で建物が火事になった外国の例を知っている)、コンピューターのマンションたるデータセンターなどは住宅や普通の商業ビルどころではない大量の暑い空気を屋外に出している筈だ。

CO₂や異常気象をどうのこうの言うが、そんな小難しい話の前に、世界中のあらゆる住宅、ビル、データセンター、自動車、電車等々、みんな暑い空気をドンドン外に出している現実がある。暑くなるのは当然だ。


と、ここまで書いたのをつらつら眺めると、第三パラグラフの「少しでも涼しい気分に ....」でガラッと現代文に変えた。音楽で曲の途中で調子を変えることを『転調』というが、これは『言語的転調』だ。

言語的転調した有名文章の例はあると思うが、サッと出てこない。それでは転調の本籍たる音楽の転調例は?




・・・考え中・・・


で、やっと思い出したのは、以下のいささか古い例である。

〽️あなただけが  生き甲斐なの
   お願い  お願い  捨てないで
   テナコト言われて  ソノ気になって
   三日とあけずに  キャバレーへ
   金のなる木が  あるじゃなし
   質屋通いは  序の口で
   退職金まで  前借りし
   貢いだあげくが  ハイ  それまでヨ
   フザケヤガッテ  フザケヤガッテ
   フザケヤガッテ  コノヤロー

これは植木等が歌った『ハイそれまでヨ』(青島幸男作詞・萩原哲晶作曲)だが、前半の「あなただけが .... 捨てないで」はスローテンポのムード歌謡。植木等にしては珍しい歌だと思って聞き続けると、突然「テナコト言われて」とアップテンポになりコミカルになる。鮮やかな転調だ。知らない人は以下の動画を見るとよく分かる。

https://youtu.be/8w-6uPw0TZY?si=Z4nNgh2YCYPXOKzU

上の例に続いて、これも転調かと言うのを思い出した。それはお座敷唄の『梅は咲いたか』である。

〽️梅は咲いたか
   桜はまだかいな 
   柳やなよなよ風しだい
   山吹や浮気で 
   色ばっかり
   しょんがいな

この俗曲の「梅は咲いたか .... 風しだい」はスローで、いかにも "日本調" である。ところが、「山吹や浮気で」で声の調子やリズムが突然変わる。そして、「色ばっかり」以降は再び元の調子に戻る。これも以下の動画を聞けばすぐ分かる。

https://youtu.be/bnujaSoUvrw?si=r_MBlvk6k_Nn1DNg

これは言ってみれば「フレーズ転調」だが、フレーズ転調は文章では頻繁に出てくる。小説などの地の文に対する「」で括った会話文や台詞である。


涼をありきて書かむとすれど、それがいかがせりといふすゑになりき。これも余興と思し召せ。

毎日が暑い。日本は熱帯真っ只中だ。「熱帯」の言葉で私が思い出すことは二つある。

ひとつは、昔、東南アジア・南アジアの仕事をしていたときに読んだ「熱帯の歩き方」の本のこと。著書名は忘れたが、主旨は「熱帯では、①昼間出歩くな、②どうしても外出しなければならないときは日陰を探して歩け、③歩くときはゆっくり歩け(1秒/歩)」の3点だ。私は今、極力①②③を励行している。

③に関してだが、初めてコタキナバル(ボルネオ島)やパプアニューギニアの現地人を見たとき、「何と動作が緩慢であることか!」と私は思ったものだが、「熱帯の歩き方」を読んでからは、彼らが緩慢なのはグータラだからではなく、疲れないために自然に身についた生活の知恵だと思うようになった。



もうひとつは、学生時代に見た原作カミュの映画『異邦人』の出だしのシーンである。マルチェロ・マストロヤンニ扮する主人公が白いスーツの上着を肩に掛けて、太陽がジリジリ照りつける(アルジェリアの?)の砂浜を歩きながら、いかにも虚無的に "Aujourd'hui, maman est morte. Ou peut-être hier, je ne sais pas"(今日母親が亡くなった。それとも、あれは昨日だったのかなあ)と独り言う。それだけで、この映画は "世の中を斜に見ている男が生きることにいかなる意味があるのか" を問い掛ける映画のように思わせた。それと、この出だしのセリフが簡単なフランス語であるせいか、映画を見て何十年も経つのに妙に覚えているのである。

不当にも米国が広島に原爆を落としたのは1945年の今日8月6日午前8時15分だった。広島は写真のように廃墟と化した。



だからと言って、どこかの国みたいに「恨み1000年」などとして米国から金をせしめようとか、米国に嫌がらせをしようとは思わない。そんなことをしたって一文の得にもならない。政治の究極目的は国民の安全と繁栄であること考えれば、米国に恨み1000年などと言わず、最大の購買力を持つ米国と商売して繁栄の道を歩む方が賢い。

また、日本は現有戦力だけで、そして自ら課している(馬鹿みたいな)法的制限があっては、とても自国防衛などできもしないのだから、米国の軍事的庇護の下に入らざるを得ない(尤も、米国は日本のためではなく、米国の国益のために日本を庇護しているだけだが)。

よく「日本は米国の言いなりになっている」とか、「日本は米国に隷属すべきではない」などと言う反米論者がいる。私は彼らの言うことも2~3割か3~4割は当たっていると思う。誠に口惜しいことではあるが、今日の日本の繁栄と安全を維持するため、日本は米国の言い分を聞かざるを得ないのだ。言い換えれば、今日の日本を維持するために払っているコスト。

そういうコストを払うのが嫌なら、弱肉強食の国際社会において、日本は経済的且つ軍事的に米国や中国に肩を並べる超大国にならなければならない。それが理想としても、先ず、非常に低い国民の国防意識を高めないと何も始まらない。そして、当然憲法に国防軍を持つことを明記し、新法を制定したり、関係法を改正しなければどうにもならない。

それだけでなく、今以上の経済力・軍事力・財政力が必要になる。だが現実は、人口は減り国際競争力が落ちている日本、戦闘機はおろか民間航空機さえ作れない日本、能動的ミサイル防御は憲法9条違反などと言う意見のある日本、日本のEEZ内に中国が設置したブイさえ撤去できない日本、超大国に必要な防衛予算規模は50兆円以上であるに対し今年度の防衛予算は僅か7.9兆円という日本 ... などなど列挙すればキリがないが、こんな日本がすぐ超大国になれる筈がない。

サウジアラビアやタイで大使を勤め、外務省退官後は外交評論家だった故・岡崎久彦氏は、よく「日本は米英と仲良くしいれば安全なのです」と言うようなことを言っていた。それを聞くと誠に情けないが、それが厳然たる実態だ。実態を無視して勇ましいことをやろうとすると、大東亜戦争の如く負け戦になる。



では日米安保条約さえあれば日本は安全か?答えはノーだ。この条約には日本に一定レベル以上の軍事力を持たせないという側面もあった。実際、日本を戦争に追い詰めたF・ルーズベルト大統領は Weak Japan Policy の典型だったし(下記URL参照)、戦後の 1950年代~1980年代の米国には Weak Japan Policy が色濃くあり、日米安保条約はそのためのツールでもあった。

米民主党の体質(Weak Japan Policy関連)
https://ameblo.jp/sakugi-no-hito/entry-12638524790.html 

だが、冷戦が終わり中国が台頭したのと反比例して米国の相対的力が落ち、今や日本を含む同盟国は米国の不足を補ってくれという状況になっている。だからこそ、去る4月の日米首脳会談においてバイデン大統領は日本の防衛力増強を歓迎したのだ。日本としても、その時々で世界一強い国との関係作り、その関係を利用して国益を実現するのが最も効率的である。事実、戦前の日本は、当時世界一強い英国との同盟条約が有効であった1902年(明治35年)~1923年(大正12年)の間は戦争に負けたことはなかったし、戦後は日米安保条約下の日本は安全であり続けた。

とは言え、米国の軍事力が相対的に落ち、中国の軍事力が上がった現況おいては、日本の対米従属(片務的関係)は日米同盟(双務的関係)に変えていかないと(それでも日本単独で超大国になるより遥かに安上がり)、日本の安全も十分守れなくなっている。

最後に自己矛盾するようなことを言うが、双務的日米同盟になれば、いざと言うとき米国は絶対日本を守ってくれるかと言うと、それは分からない。日本防衛が米国の利益になれば日本を守るかも知れないし、米国の利益にならなければ守るまい。日米安保条約の最大の効果は、「いざと言う事態に至る前の段階で、中国等に日本攻撃を躊躇させるという抑止力」なのだ。所詮、同盟なんてそんなものだ。

勿論、いざと言うときは日本を守るよう平素から米国にロビイングし続けるべきことは言うまでもないし、日本は自国で自国を防衛できる範囲を常に拡げる努力をし続けなければならない。だが、何度も言うが、絶対安全を追求するなら、コストを掛けてでも日本は経済的且つ軍事的に米国や中国に肩を並べる超大国になるしかないことも肝に銘じておくべきだ。

そういうことなのではあるが、去る5月12日に米連邦議会のグラム上院議員(共和党)の発言「日本への原爆投下は正しい決断だった」を聞くと気分が悪くなる(以下のサイト)。

U.S. Senator Again Justifies 1945 Atomic Bombings of Japan
https://sp.m.jiji.com/english/show/32928