H先生はわたしの話を最後まで聞き終わると,おもむろに教壇に立ち上がり両手を広げて教卓につき,わたしを見下ろすようにして問われました。
「どんな印象を受けますか。」
いつもは穏やかで冷静な方でしたが,上から厳しい表情でわたしを見つめています。
何を伝えようとしているのか分からずに,無言の時間だけが過ぎていきました。
しばらくして,わたしはようやくあることに気付き,
「圧倒される感じがします。」
と,力なく答えました。
そのときのH先生の姿に,授業中のわたしの姿が重なったのです。
言葉はなくとも,子どもを威圧していた自分に気付かされたのでした。
つぎに,H先生は,椅子に腰掛けているわたしの横に膝をついてしゃがみ,話を続けました。
「子どもの椅子に座ると見えることがあります。子どもの目線で話すと,もっと気付くことがあります。」
すると,すぐにいつもの穏やかな表情に戻りました。
翌日,わたしは,Aくんが本当はどんな思いで学校に来ているのか,授業にどのような願いをもっているのか知りたいと思い,Aくんの様子をよく見てみました。
わたしが近づくとやはりノートの上にさっと手を置きます。椅子の横にしゃがみ,そっと尋ねてみました。
「何か困っていることがあるのか。」
何も答えません。
「困っていることがあれば,何でも言っていいんだよ。」
しばらくすると,絞り出すような声が聞こえてきました。
「だって,先生に見られると…」
あらためて休み時間にゆっくりと話を聞いたところ,Aくんはポツリポツリと語り始め,わたしは,頭をハンマーで殴られたような気持ちになりました。
Aくんは,以前,問題がなかなか解けなくてつらい思いをしていた時に,隣の席の友達にからかわれて恥ずかしい思いをし,その時にわたしに質問しようとしたけれど,なかなか声をかけられなかったのです。
Aくんは周りから見られることに不安を感じ,自分に自信を持てないまま授業を受け続け,その思いがはけ口のないままに重なり続け,ノートを隠すという姿として現れていたのでした。
わたしはAくんのことを「きっと勉強が苦手なのだろう」とか「少し消極的な面があるのかな」というように,表層的にしか見ておらず,本当の姿を見ていませんでした。いや,見ようとしていなかったのかもしれません。
わたしは,Aくんが自分の思いを正直に話してくれたことに感謝を伝え,分からないことを恥ずかしいと思わせてしまったことを反省していること,分からないことを解決するために友達や先生たちがいること,そして安心していつでも相談してもらえるとうれしいということを語りました。
その後,ゆっくりとではありましたが,Aくんの不安を解消する取組を進めました。
Aくんの思いを聴き,背景に思いをめぐらせることを基本としながら,周りの友達や教師との人間関係づくりを積み重ね,Aくんは分からないことも恥ずかしがることなく笑顔で質問することができるようになっていきました。そして,わたし自身も大きく変わったように思います。
あれから長い年月が過ぎました。学校で先生方に笑顔で質問している子どもたちを見ると,AくんとH先生の姿を思い出します。
ほろ苦く,冷や汗が出るような思いをかみしめながら,寄り添うことの大切さを胸に刻んでいます。
鹿児島県ちょっといい話より
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