そしていよいよ東京電力福島第二原子力発電所へ。

最初に概要説明をお聞きしました。
東日本大震災の時の第二原子力発電所の震度は震度6強。
1から4号機の全号機が運転中でしたが、地震により全て自動停止しました。
地震により変電所の一部が破損、外部電源が一部停止。4回線のうち1回線は受電継続で使うことができたそうです。

津波の到達は地震発生後から約45分後。
1号機建屋は1階から浸水、2から4号機は原子炉建屋内はほとんど浸水なし。海水熱交換器建屋は1階が浸水。などなど多くの浸水被害もあったそうです。

その中でも1.2.4号機が冷却機能が喪失。
内閣非常事態宣言を受けました。

この場所が、その時非常対策本部機能だった場所です。
様々な情報が飛び交い、体制を整え大きな事故を防いだ場所。

冷却機能の電源を確保する為に、この20キロ以上あるケーブルを総勢200名がかりで、運び、電源を繋ぎ、通常なら1ヶ月かかる仕事を30時間で成し遂げ、24時間体制で3日間復旧作業をし、2011年3月15日に全号機の冷温停止を達成したそうです。



この白い線の跡が20キロのケーブルを200人がかりで運んだ跡です。

当時の現場の状況は寝る場所もなく、クラッカーと缶詰のみの食事の中、不眠不休で現場の方々がなんとしてでも電源を普及するのだと言う想いで行なっていた話を聞きました。

話を聞いていて、壮絶な状況中でその中でも諦めず作業を行なっていた方々の想いに感銘を受けました。


ここは、海水熱交換器建屋内。
指を指しているところまで津波が来て、先日まではこの電気のところにお水が溜まっていたそうです。


今回は4号機建屋内に入らせて頂きました。
最上階から、冷温停止されている原子炉のプールを見させて頂きました。



原子炉建屋の格納容器の下にも入らせて頂きました。
第一原発の時も入らせて頂きましたが、ここに入るときは少し緊張しました。



第二原発の原子炉建屋は、第一原発よりも、広く、機器なども新しく感じました。


今第二原発は冷温停止を保ち、燃料保管、燃料冷却がされている状態です。
安全確保のために、海抜45メートルの場所にガスタービン発電機車や燃料が配備されています。
そして、非常事態の時の訓練も随時されているそうです。

副所長さん始め多くの東電の方々に熱意ある説明を聞かせて頂きました。

最後に質疑応答があった為、「第二原子力発電所の廃炉はいつ頃になるのか」と言うことを質問させて頂きました。

この件についての答えは、「第一原子力発電所の廃炉作業の兼ね合いによる。その状況を見ながら廃炉作業を進めていく」と言うことでした。

また、「使用済み核燃料はどこに保管していくのか」と言う質問に対しては、今現在まだ決まっていないと言うことでした。まだまだ廃炉までは課題が多いと感じました。

私が生きている間に第一原発、第二原発の廃炉作業が終えられるかわからりませんが、今後もその動向を見守って行こうと思います。

最後に今回視察した皆さんと東電の皆様と集合写真を撮りました。


福島に生まれたものとして、今後も他人事ではなく、自分事としてしっかりとこれからも考えて行こうと思います。



最後に見た富岡の空。





夕焼けもとても綺麗でした。


フリーアナウンサーの大和田新さん、今回もお声がけ頂きありがとうございました。
そして、東電の皆様達も大変丁寧な熱意ある説明ありがとうございました。

本当の福島の復興まで、私も私なりの伝え方で今後も伝えて行こうと思います。


これで今回の視察レポートは終了です。
少しでも皆さんの心に届きますように。


本当の福島を取り戻すために。


読んでいただきありがとうございました。