自分宛ての郵便物が届くと、そそくさと封を切る作業にいそしむ母。
残り3か月をきっての卒寿が近づいている。
そんな母、昔から郵便物の定型サイズはペーパーナイフで必ず長辺側を切る。
毎回、開封へのワクワク感で一杯らしく、誰にも邪魔させないわよ、と背を向けてナイフを扱っているのだが、結構手間取る89歳なのである。
切ってあげようか、と余計な手をだせば、ご機嫌が悪くなるので、ここも毎回ちら見しつつの知らぬふりをしている。
しかし、である。
ワクワク感一杯なのはいいのだが、開けてみれば、ワクワクも一瞬にしてしぽむような公的機関や通販サイトからのお知らせ通知ばかりなのである。
老眼鏡を持ち出し、文字を読み始める母なのだが、一体これは何の書類かとワクワクゴゴロは数分、紙面をさまよう結果となる。
今週末、実家を訪れると、予約をしていた健康診断のご案内書類や付属物が一式届いていた。
卒寿なのに、健康診断?
果たして、意味はあるのか?
その齢になったらもう不要だよね、と去年も兄と話題にしていたのだが、結局本人のご希望で申し込んだらしい。
既に、きれいに開封してあるものの、健康診断はいつなの? と訊いても、いつだったかな、と脳内に隙間風が吹いている。
なぜか、尿検査の小袋が居間のテーブルに堂々と置かれていて、これはどうして出してあるの?
と訊いても、これは私が出したのではない、とお馴染みの「知らない」脳に変換されている。
今週から2か月お休みしていたミニテニスに行き始め、少しは全身の代謝活動が活性化してくれたかと期待していたのだが、まだ一度では無理だったらしい。
違った日に尿採取をされそうな意気込みなので、と尿検査袋を封に戻そうとすると、
「名前を書こうと思ったのよ」と母。 (やはり、犯人は君か)
では、と油性のお名前ペンを出して渡す。
ビニール袋と採尿スティックに貼付するシールの2か所に記入するのだが、これだけの作業にまたまた時間がかかる。
記入欄のお名前、漢字でよいと思っていたのだが、ビニール袋に大きくカタカナで記入と書かれている。
習字の段を持っているせいか、年を重ねても書く文字だけは美しい母、書いた後、立派に書けたでしょう、とひとり悦に入っている。
けれど、漢字ではなかったのよね、と母に残念なお知らせをする。
「漢字の上でいいから、カタカナで書いて、大きくね」
「カタカナ? フリガナってこと」
いやいや、大きくカタカナでお願いします、と念押しする。
さて、この母の名前の漢字のひとつに津が入っているのだが、そこで、ペンが止まっている。
「あれ、ズとヅ、どっちだっけ」
どっち?
漢字の読みが「つ」でしょ。
なぜ、迷う。
今までもずーっとずずっと「ヅ」で生きてきたじゃない。
忘れちゃったの? と訊けば、
あれー、ヤダ、忘れちゃってる、と大笑いしている。
ここで笑えるのか、おかーさん。
津の仮名は何?
とビッグヒントを与え、書き終えた採尿袋。
こうして、母はまた「ヅ」の人生を再認識し、一歩後退、なのか、前進なのか、の1
日を越えたのであった。