最近、行きたい神社が見つからない。
週一で行く神社は産土でもなく、地元の神社でもない。
たまたまそこを通る、ただそれだけなのだが、何となくそのままのほほんと通り過ぎてはいけない気分になって毎週参拝してしまう。
いわゆる、ただの習慣? なのだろう。
が、そこに「神様」のご威光がインプットされているせいか、中々素通りできない。
その小さな神社にも御神木があり、珍しくも枝垂桜。
「シダレン」と名付けてご挨拶などをしているのだが、そこにも、何かがインプットされてしまっているらしい。
御祭神は、有名どころの日本武命(やまとたけるのみこと)、木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)の面々も連なってのその他加えての御三神。
境内の中にはその他、3つの境内社と撫で牛様も鎮座して、参拝しました、の到達感にしばし酔い知れたりする。
行きたい神社がないとはいうものの、あそこに行ったら、その神社には行きたい、という神社があり、そのひとつが、熱海の来宮神社である。
もうすでに3度訪れたことがあるのだが、訪れるたびに、ここは神社というより、観光地のひとつなのだな、とその都度再認識する。
オープンカフェなどもあり、神社の領域を超え、まさに商業施設化の波しぶき、である。
お守りなども数年前と来た時より種類は増えたものの、ミニサイズになり、お守りなのか、チャームなのかはっきりしようよ、と首をひねりたくなる。
が、この境内の中の様々な演出が功を奏しているらしく、参拝客は夕方になっても引けることがなく、その参拝客のカラーもどこかが違う。
おしゃれ自慢しているような若者や、スピパワー丸出しの不思議スタイルの人も多い。
とはいえ、参道の空気は心地よく、鎮守の森の落ち着きもそこかしこに感じられ、やはり訪れてよかったな、と別れ際にはまた思う。
さて、この神社で忘れてはならないのが、境内の奥にある樹齢2千年以上と言われる御神木の大楠である。
木肌は加齢で文様のようにひび割れ、空洞化した幹の大きさなど、樹木というより、化石化したオブジェのよう。
一周すると寿命が1年延びるらしいが、延びなくてもよろしいワタクシはただひたすら見上げるのみ。
また、化石の君に会いにきちゃったよ、クスクス、などと心の中で呼びかけ記念の数枚を撮影して、あっさりと神社を後にしたのだが、会えたけど、数年前の感動の鼓動と何か違う。
が、そのナニカがなんなのか、未だにわからず、脳内断捨離中のワタクシなのである。
またまた下手なカットを一枚。
真ん中の不思議な部分に目がいってしまうのはなぜ?