実家に帰宅(いまだに帰宅感抜けない老娘)した際には、できるだけ母の入浴を見届けてから帰ろうと決めている。
母の入浴時間は大抵40分。
冬は特に着ている下着が多いので、パジャマまで着替えて居間に戻ってくるのに1時間近くかかることもある。
そんな母が、その日に限って1時間過ぎても戻ってこない。
そういえば、10分ほど前にお風呂場のほうでカタンという音がしたような気がする。
そろそろ着替えてほかほかの表情で登場するのかと待っていたが、中々現れず、もしや何かあったのかと、風呂場を覗きに行くと、風呂椅子に座りこんだまま母が流し場の排水栓を取り出してシャワーのお湯を流し続けている。
入浴暖房で室内はかなり暖かくなっているので、湯舟に浸かっていなくても問題のない風呂場。
だが、そこで裸婦像のごとく俯いて、一体何をしておるのか。
どしたの、と訊けば、うーん、ちょっと吐いた、とこちらに顔を向けずに答える。
吐いた? 入浴中に吐いた、となると脳?
しかし、きちんと排水栓を抜くところまでは頭が機能しているようだ。
のぼせ、では吐かないだろうし、とりあえず、こっちを向かせ、顔色を見るが入浴中なのでよくわからない。
湯船に入ってから出る? と訊けば、温まっているからこのまま出ると言う。
着替えをしてもらおうと、シャワーをとめ、立ち上がれるかとまた訊けば、もう少し流してからなどと言い、中々立ち上がらない。
立ち上がれない? わけでもなさそうだが、強制的に腕を添え立ち上がらせ、バスタオルで拭いてあげようとすると、もう自分でできるからあっちへ行ってて、と言葉はしっかりしている。
痺れてないか、頭痛はするか、と訊きながら着替えをしている母にまとわりつく。
その間10分ほど。
その後5分ほど経過してから測った血圧は普段に比べかなり低く、上が106まで下がっているのでとりあえず、お脳じゃないよね、と2階の兄に伝書鳩である。
果たして、吐き気の原因は何だろうと素早く考えてみる。
下痢はしてないから胃腸炎ではない。
その日のメンイベントの山梨への墓参りで疲れたのか。
はたまた、前日、作りすぎたぼたもちがお腹にたまったまま、夕食攻めにあったのがまずかったのか。
体調良好と日々ワタクシに自慢している母にしては珍しい、まさかの春の珍事である。
しかし、たかが吐いた位でビクつく娘、どうにも芯が弱すぎるお世話係である、と反省する。
これから、色んな珍事が待ち受けているに違いない老老の身だらけの家族一同。
こんなことであわふたに踊ってどうする、お世話係よ、なのである。
同居している兄は、卒寿を迎える母がいつどうなってもよろしい年齢だと達観しているらしく、母の小さな異変も死に支度のひとつのように受け入れる。
当然のように老化していく細胞。
誰にでも必ず死は訪れるのは世の常。
お彼岸中日にご先祖様から、そんなお言葉をいただいたような春の珍事に、ご先祖様、わかりましたと、仏壇のおりんをひとつ鳴らしてみたのであった。