最初から泣くシーンでもないのに、ワタクシ的涙腺崩壊。

木造平屋のドアをあけ、「ただいまぁー」と語尾が上がる広島弁の柔らかな響きを聞いた途端、なぜかわけもなくうるうると湧き出る涙の正体がわからない。

哀しいわけでも、懐かしいわけでも、寂しいわけでも、ましてや嬉しいわけでも、ない、なのになぜ、涙? なのである

 

「ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえりお母さん」は、2018年公開されたドキュメンタリーの続編。

娘が撮る老いた両親の日々の記録である。

最初の作品で圧倒されたワタクシにとって、これは観なければ、の作品なのであった。

 

2018年に母親が脳梗塞で倒れたという情報は既に知っていたのだが、再発もしていたことをこの作品で知ることになった。

続編はこのお話を中心に展開するのだが、この老いと病を抱えた二人暮らしの両親を撮る娘の心境とはどんなものだったのだろう。

思惑は交差しつつ、スイッチオンした途端の無抵抗の涙に感情が空転していく。

 

が、10分程見て、待てよ、となった。

このシリーズ、確か以前母にも観せ、終了まで転寝もせずに観きってくれた映画、なのではなかったか。

多分、忘れているとは思うが。

一緒に観る? 

年寄りが出るボケ含みの笑いや涙の番組はあまり見たがらない母。

何となくわかる気がするだけに、この映画はどうなんだろう。

 

またまた重なる思惑を抱えたまま、実家にお泊りの日、風呂上がりの母のほっとくつろぎタイムを狙って、ビデオに切り替えた。

ねーねー、このおじいちゃんとおばあちゃん、前にも観たでしょ、と言いながら誘い水をかけてみる。

画面を見ながら、このおじいちゃんはいくつになったのと訊いてくるので、どうやら覚えているらしい。

おじいちゃんより、おばあちゃんのお話なのだが、やはりこのおじいちゃんに圧倒されるところは、母も同じらしい。

脳梗塞で入院している妻91歳のベッドへと、毎日片道1時間かけて訪れる98歳の夫。

一歩一歩が重い。

一歩一歩が人生。

一歩一歩が過去と未来を越えた現在。

そんなふうに歩く。

 

いよいよの時を迎える前に、たった一度だけ、介護士に抱えられ紫陽花の咲く家に帰るおかあさん。

意識の覚醒を見つめつつ、涙崩落。

傍にいる母に、ここ泣くよね、ねーねー、と言えば、えっ、泣いてるの?  と笑われる。

よかったじゃない、死ぬ前に家に帰れて、と単純思考まんまの母なのである。

 

見終われば、黄昏たまま、ふと思う。

このドキュメンタリー、この父親98歳の介護ぶりに圧倒される2時間でもあるのだと。

認知症だけど、娘のことも夫のことも最後まで忘れないお母さん。

多分、今もあの家の紫陽花の傍らで笑っているような気がする。

 

そういえば、母もこのドキュメンタリーを堪能し、よく食べるこのおじいちゃんに刺激されたようで、見終わった後のひとことに少し笑った。

 

「○○の焼き肉食べに行きたいわね。」

 

まだ半ボケのままでよろしく、おかーさん。