60代半ばとなった兄、毎年2月になると飽きもせず各方面へスキー旅に出かける。

今年は岩手の安比までと、ぐぐっと足先を伸ばしている。

 

数年前から、一応母のことを慮ってなのか、2泊3日と日数を減らしてくれてはいるが、89歳の母、去年の今頃とはちょっと違うよ、と妹はひと言告げる。

また、行くのか、この母をひとり残して、とふた言めも追告げる。

が、「問題ないでしょ」と相変わらずのどこ吹く風モードの兄、血のつながりを全く感じさせない。

腰椎にヘルニア爆弾、腎臓には結石爆弾、抱えたままよく行けるね、と一応は脅してみる。

みるが、毎回、当然スルーされる。

 

しかも、時々は一人の生活を経験させないと母も脳が刺激されないだろう、とスキーレッスンの動画から視線を外さずにさらっと返された。

 

そう、去年の2月初めはコロナ陽性がなかなか抜けきれず、地団駄ふみふみのワタクシであった。

去年の3日間、母はボッチ生活を無事やり遂げた、と思い出してはみる。

ここも、思い出して、みてはみるのだが、88歳と89歳のその一年は10年位、違うような気がする。

いや、かなり違っている。

巷では「102歳、一人暮らし。哲代おばあちゃんの心も体もさびない生き方」という本が話題になっているらしいが、元々一人暮らしの長い人と、数日だけ一人暮らしの人とでは経験値が違うだろう。

 

先日の母のやらかした、「あまおうミルフィーユ事件」などは、かなり衝撃的で涙腺から笑いと泣きのミックス水があふれ出た。

切り干し大根が冷蔵庫のチルド室にあった時よりも難解不可解な状況に、右往左往のワタクシ。

そんなワタクシを尻目に、一体誰がどこにやったの? ときっぱり言い切る母。

誰って、ミルフィーユの現場には、あなたとアタシ、ふたりしかいないじゃない。

正確に言うと、先に帰宅してミルちゃんをしまい込んだのはあなたなんですが、と言いたい。

けれどグッとおさえる。

 

もしかして、他に誰かいたのかと冗談まじりに訊くと、誰かいたのかもしれないよ、とマジ顔で答える。

これまた89歳の不思議な脳である。

可愛いパックにきちんと2つ入ったあまおうミルフィーユちゃん。

多少の障害を受けた彼女たち、とりあえずは数時間後に発見されたのだが、その時にこれは、きたぁ、と思ったのだが、ここもまた兄の前向きな思考展開で笑い話に変換され、なおかつ母は最期まで「誰がそんなとこに」とマジ顔のまま驚いている。

ちっとも笑えない場所にあったのに、母の所作ひとつひとつに笑える自分。

成長したなぁ、とちょっと嬉しくはなる。

 

というわけで、そんなやらかし母の、3日間冬ボッチが始まる。

正確に言えば2日めの昼過ぎから所用を終えたワタクシが参上つかまつるのだが。

大丈夫か、89歳と3か月。

どうか、トイレで長時間踏ん張るのだけはやめてほしい、零下のベランダで洗濯モノを干すのもやめてほしい、と不安の粒を数えてはもみ消している娘のココロ、全くどうでもよい、母。

 

ひとりだってぜーんぜん平気、と89歳一人暮らし、はじめそうな勢いなのである。