今年に入って時代小説を一気に4冊つまんだ。

頭の中は江戸武士魂とお能で一杯になっていたところに、新聞の言葉季評で穂村弘の文を見かけた。

硬質だった脳波がやんわりとしぼんで、久々に短歌の人をつまみたくなった。

 

毎度ながら、穂村の筆致にはいつも頬っぺた丸ごと包み込まれる。

個人的には、歌人としての穂村よりも書く人としての穂村が気に入っている。

他に歌人だけど、こっちが好き、のカテゴリーにいるのが、東直子と小島ゆかり。

というわけで、東直子の「レモン石鹸泡立てる」(散文の時間)を微熱の夜のお供として添読。

37.5℃の微熱の体は朝からずっと曖昧模糊の波間で、仕方なく夜7時半から枕の人になり、眠りへの誘いのためのレモン、だったのだが2時間ほどで読み切り、微熱症候群のまま夜が更けてしまった。

 

この石鹸、書評とエッセイと短歌が程よくミックスされ、泡立ち感はさすが東さん、である。

各章のタイトルやサブタイトルにも東のこだわりが見え隠れし、妙味があるのだが、とにかくこのタイトルの「レモン石鹸」に惹かれる。

このカネヨのレモン石鹸、小学生の頃、通っていた学校で使用していて、女子たちには好評だった、と記憶している。

アミアミのネットに入れられて、各蛇口に括り付けられていたレモン石鹸。

レモンの香りがしていた、ような気がする。

小学生の高学年女子といえば、レモンのお年頃でもあった。

レモンといえば、智恵子抄のレモン哀歌、梶井の檸檬、鈴原研一郎のレモンの年頃(エイジ)、などを手に取って、皆でちょっと大人なレモンの匂いを嗅いでいた。

懐かしの昭和、レモンである。

 

本書で読みたくなった作品もめっけもんとなって、微熱でも、読書はできるものだな、と東直子に感謝して目を閉じた。