刃のように輝く二日月の、冷たさが芯に刺さるような夜。

こんな気分の日には読めないだろうと思っていたのに、なぜか手に取ってしまった山本文緒「無人島のふたり」。

なのに、開いた途端、残り少ない時に追われるように読み切ってしまった。

わずか、1時間。

読み切った後、枕に頭をのせた途端、ドラマみたいに涙がつーっと流れて、これは一体どうしたのだ、となってしまった。

眠る前なのに、不覚にも深く疲労したまま、妙なアドレナリンに満たされて、また枕から頭を起こす。

さてどうしたものかと暫くメルヘンチックな装丁などを見つめて、困ったとにかく困ったと呟いていた。

山本の作品との初めての出会いは「プラナリア」。

私の中では唯川恵と同じカテゴリーにいて、時々無性に読みたくなる作家なのだが、彼女の訃報を知った時も「ばにらさま」を読み始めたところだった。

 

「無人島のふたり」はひと月も枕元に積読本として寝かせに寝かせていた。

そのまま読まずにお棺に入れてもらってもいいか、と思ったりしたが、お棺に入れるのは自分の23年間書き続けている日記のほうだよね、と思い直した。

実は昔々の自分の日記を読むのは結構面白い。

何年も前から全く成長していないわが身を知るとあきれ返って笑うしかない、変な面白さがある。

だけど、ひと様のはどうなんだろう。

読んでもいいものなのか。

出版にGOサインを出したのは本人なのだから読んでもいいのだろうけど、リアルタイムの闘病記録を読んで、しかも亡くなってしまう数日前までは書いていた日記を読むのはそれなりの環境とかココロ具合の準備が必要な気がしていた。

なかなか読み進まない青山文平に疲れて、ちょっと手に取ったひと様の日記を一気に読破なんて申し訳ない気持ちで一杯になってしまった。

 

なんか、ごめんなさいのツーっとした涙なのか、「書けましたら、また明日」と書かれた文字にツーんとしたのかいまだにわからずのまま、窓を開け、やたら煌めいている冬の星座を見上げていた。