10月の半ば頃から予感はあった。
来る、きっとくるぅ、とfeels like HEAVEN の声が少しずつ大きくなってきて、やはりその日がやってきた。
秋晴れ、20℃の過ごしやすい柔肌の風がさらっと一筆、頬をなでた昼過ぎ、掃き出し窓の向こうの畑から「○○さんいるかい」と声がする。
そんな気がする日和ではあったので、己の心の準備はできていたらしい。
スムーズに声を返し、掃き出し窓から外に出てみる。
ああ、出た、やっぱり、来た。
柿本人麻呂、だった。
大家さんから差し出された、段ボール一杯の柿本人麻呂が、ぎゅっとワタクシの心を柿色に染める。
10月の半ば過ぎから、南の窓をあければ、柿一色、の朝であった。
大家さんの畑にある3本の柿の木の実が、たわわすぎて視野全てが画期的に柿、な日々なのだった。
2本が甘柿、多分次郎さん。
渋柿はかなりの大木。
形は筆型ではなく、丸いので、こちらも甘柿かと間違えそうな色合いをしている。
お手入れがよいせいか、隔年結果とはならずに、毎年豊作となる大家さん宅の3本の柿たちは、毎年ひくてあまたの人気ぶりなのであった。
が、今年は脚立持参で取りに来る面々が、中々現れないので、悶々としていた。
甘柿もかなり大きくなって、柿色が一層濃くなっている。
そろそろ、鳥の餌、だよ、と思っていたところに、段ボールの柿本人麻呂が「長々し夜」を超え、ついにワタクシの元へ駆けつけてきた、らしいのだ。
毎年、甘柿は貰いすぎるほど貰っていたのだが、去年の立ち話の時、干し柿作りもしている、と口を滑らせたのが運を開き、今年は渋柿まで献上されてしまった。
ありがとう、大家さん。
頑張ります、数えたら50コです、すごいです。
実は去年、作ったのは10コだけなんです。
産直で気まぐれに買った渋柿で、ちょっとやってみただけなんです。
里山の風景画みたいな吊るし柿慕情とはいかなくて、洗濯干しのピンチハンガーに挟んで吊るしてみただけなんです。
し、しかも、ですね。
実は、アタシ、柿、あんまり食べないんです。
なんて、言えず、ただひたすら、嬉しい悲鳴というのをあげてお礼を言っていたのだった。
とりあえず、問題は柿本人麻呂たちなのだ。
ひっそりとテーブルの下で待機中の柿本人麻呂たちを眺めながら、10月の後半は暮れてゆくのであった。